見出し画像

八幡神の正体


1.応神天皇と八幡大神の誕生

(1)応神天皇はイエス・キリストである。(宇美八幡宮)

◎かれ、その政未だ竟へざりし間に、その懐妊みたまふが産れまさむとしき。すなはち御腹を鎮めたまはむとして、石を取りて御裳の腰に纒かして、筑紫国に渡りまして、その御子はあれましぬ。かれ、その御子の生れましし地を号けて宇美(うみ)と謂ふ。またその御裳に纒かしし石は、筑紫国の伊斗村(いとのむら)にあり。(『古事記』)
【現代文訳】
 神功皇后の政(三韓征伐)が終わっていない間、懐妊した子が産まれるという。それで、腹の子を鎮めようとなされて、石を取り、着物の腰につけ、筑紫国に渡ってから出産しました。その子が生まれた土地を名付けて「宇美(うみ)」という。また、その腰につけた石は筑紫国の伊斗村(福岡県糸島市二丈深江)にある。(鎮懐石は、鎮懐石八幡宮(福岡県糸島市二丈深江)以外に、本宮八幡神社(長崎県壱岐市勝本町本宮西触)と「松尾七社」の月読神社(京都府京都市西京区松室山添町)にもある。)

◎「十二月戊戌朔辛亥。生誉田天皇於筑紫。故時人号其産処曰宇瀰也」。(『日本書紀』「神功皇后摂政紀」仲哀天皇即位9年12月条)
【現代文訳】
 200年12月4日。筑紫で譽田天皇が生まれました。それで、当時の人は、その生まれた場所を「宇瀰」(うみ。福岡県糟屋郡宇美町)と名付けた。

◎「譽田天皇、足仲彦天皇第四子也、母曰氣長足姫尊。天皇、以皇后討新羅之年、歲次庚辰冬十二月、生於筑紫之蚊田」。(『日本書紀』「応神天皇紀」)
【現代文訳】
 譽田天皇(応神天皇)は足仲彦天皇(仲哀天皇)の第四子である。母は氣長足姫尊という。天皇が皇后と新羅を討った年、庚辰年冬12月に筑紫の蚊田(かだ)で生まれた。

 「聖母大菩薩」と呼ばれた神功皇后は、処女懐胎で神の子を宿した「聖母マリア」、「八幡大菩薩」と呼ばれた応神天皇は救世主「イエス・キリスト」、「八幡神」は「ヤハウェ」だという。

(2)応神天皇の神霊が菱形池に八幡大神として現れた。

■『八幡宇佐宮御託宣集』(霊巻五)「菱形池邊部」
※辛国の城に初めて八流の幡と降臨(「八幡」の語源)
※一対の鳩は登場しないが、「金色の鳩」として登場する。
※八幡神の荒魂が『八幡愚童訓』の塵輪か?

ここから先は

1,683字

家族になろう!

¥1,000 / 月
このメンバーシップの詳細

記事は日本史関連記事や闘病日記。掲示板は写真中心のメンバーシップを設置しています。家族になって支えて欲しいな。