【築山殿異聞】築山殿は水戸で殺された。
通説では、築山殿を殺した野中重政(堀江為清の孫。野中氏初代。家紋は三日月)は、故郷の堀江村(静岡県浜松市西区協和町)で蟄居したが、子孫は水戸藩士になっている。
茨城県水戸市には、「築山殿は醜女(しこめ)で、ヒステリック。水戸で殺された」という伝承が残っている。ヒステリックという伝承は他にもあるが、醜女という伝承は水戸だけかも。(詳細は後述。)
■『徳川実紀』
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