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日神の対島、月神の壱岐


 日本の神道では、「八百万の神々がいる」としていますが、原始神道は一神教で、高皇産霊神のみが存在していたそうです。そして、高皇産霊神は日神を生んで対馬に、月神を生んで壱岐に鎮座させたので、「日神の対島、月神の壱岐」は「日本神道発祥の地」となりました。

 その後、北九州勢力の東進により、対島の日神は大和国の磐余、壱岐の月神は山城国の歌荒樔田に祀られたそうです。


       ┏日神:対島の阿麻氐留神社→大和国の磐余
  高皇産霊神┫
       ┗月神:壱岐の月読神社  →山城国の歌荒樔田


 神道の起源については、「八百万の神々がいる」ことから、縄文人のアミニズムの延長とされていますが、私は、神道の起源は、弥生人の祖霊信仰だと考えています。弥生人が朝鮮半島から来たのであれば、朝鮮半島に最も近い対島&壱岐で神道が発生した可能性が高いのでしょうが、なにしろ私は、原始神道の研究はしていませんし、対島も壱岐も行ったことがありません。
 そもそもこの話を聞いた時に、「なぜ高皇産霊神、日神、月神を1つの神社に祀らないの?」と思ったくらいですから、語る資格なし!(外国の神話にしろ、『日本書紀』の記述にしろ、日と月は仲が悪いので、同時に空に存在しないそうです。実際には同時に存在することもあり、「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」「菜の花や月は東に日は西に」と詠まれてますけどね。)


■対馬


■壱岐



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