杜若を生ける。
生け花は、自分のセンスを信じて生ければいいと思うが、
世の中には音痴がいるように、美的センスが彷徨ってる人もいる。
それで、「こうしたら綺麗に見る」という流儀(パターン)がある。
杜若を生ける時は5000円札を参考に、
上の写真のように草丈を変えて群らせばOK!
──これは尾形流(笑)
できなかったら、一輪挿しで(笑)。
遠州流ではこんな感じ。
■三州八ッ橋のかきつばた
から衣きつつなれにし旅の空
かの業平が東路(あづまぢ)へ下るをりしも、三河なる八橋にたちよりて、歌よみ玉ひし昔語り。
什麼(そも)杜若の挿(いけ)花は、新宅、徒移(わたまし)の折にふれて、その家、長久、火伏(ひぶせ)の挿方。
先師の教えを其ままに、門人に示しつつ、這回(こたび)挿たるそのままを、花のゆかりの名にめでて、今こそ、ここに在原の、その正写(しょううつ)しを図するになん。
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遠州流華道/「綺麗さび」の茶道は、小堀遠州を流祖とする。その小堀遠州(43歳)が、元和7年(1622年)、岡崎城主と別れて、八橋を通った時、期待していた杜若が全く咲いていなかったので、「欠き」と掛けて、
八橋にはるばると来て三河なる 花には事をかきつばたかな
と詠んだ。この歌がバカうけで、談笑している内に知立の里についた。
■小堀遠州『東海道旅日記』
(前略)城主と帰ぬ。別て八はしと云所に到ぬ。杜若の名所なれば、おほくあるらんとおりえど、見れどもなし。
八橋にはるばると来て三河なる花には事をかきつばたかな 人々かぎりなくおかし。これを興じて、ちりうのさとにつく。
それはそうと、杜若ってこんな曲がってたっけ?
──何れ菖蒲か杜若
本来の意味は「(菖蒲と杜若が似ていて区別がつかないことから)どちらも優れていて優劣がつけにくいこと」であったが、現在は「2人共美人で、どちらの方が美しいか判定できない」の意味でよく使われる。
菖蒲や杜若が「優れている」「美しい」というのは、立ち姿が美しいからである。人でいえば、背筋が伸びた「モデル立ち」である。曲げてしまう(曲がってるのを選ぶ)というのは、猫背や腰が曲がっている姿を「優れている」「美しい」とする生け方に思えて、私の感性には反するが、「新築や転居の際の、『家運長久』『新居の火難防止』の呪術」と説明されると、「へ~」とは思う。
杜若の花言葉は「幸運は必ず訪れる」です。
しあわせになりたいです。