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藤長庚『遠江古蹟図会』011「能満寺之蘇鉄」

1.日本三大ソテツ


(1)能満寺の蘇鉄(静岡県榛原郡吉田町片岡) 平安時代、陰陽師・安倍晴明が、死んで大井川を流れて来た大蛇を見つけ、塚を築いて埋め、中国から運んできた蘇鉄を植えた。すると、蘇鉄は、大蛇の精を吸って大きく育ち、大蛇のようにうねったという。安倍晴明は、人々に害を与えないように、大蛇の精を封じたという。(「遠州七不思議」)

 能満寺は、慶雲4年(707年)、大井川の河口に行基が建てた寺で、七堂伽藍の巨大寺であったが、永正14年(1517年)の大井川の大氾濫により全てが消失して砂地となった。武田信玄が元亀元年(1570年)に再建し、翌元亀2年(1571年)に小山城を築いた(『武田三代記』巻16)。(能満寺の裏山・能満寺山は牧之原の最南端で、2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』で、徳川家康と信康の親子が攻めた武田方の城・小山城があった。)

 駿府城にいた徳川家康が、ある時、能満寺を訪れ、蘇鉄の見事さにほれ、住職(側室・茶阿局の弟)に頼んで譲り受け、住吉浜まで運び、船に乗せ清水の港に陸上げし、駿府城に移植した。すると蘇鉄は、毎夜、「いのー、いのー」と泣き出した。学者に聞いてみると、「『いのー』は、『行こう』『帰りたい』という意味ではないか」と答えたので、能満寺に戻したという。


(2)龍華寺の蘇鉄(静岡県静岡市清水区村松)
 龍華寺の蘇鉄は、徳川家康の側室・お万の方の2人の子(紀伊徳川頼宣、水戸徳川頼房)が寛文10年(1670年)の開山時に中国より移植したと伝えられている。

 お万の方(結城秀康の生母・長勝院ではなく、養珠院の方)は、法華宗の信者で、「法華宗中興の三祖」(身延山第20世・一如院日重上人、身延山第21世・常照院日乾上人、身延山第22世・心性院日遠上人)に深く帰依した。龍華寺開山・日近上人は、日乾上人の甥で、日遠上人の弟子である。


(3)妙國寺の蘇鉄(大阪府堺市堺区材木町東) 天正7年(1579年)、織田信長は、この蘇鉄を安土城に移植させた。ある夜、織田信長は、庭先で妙な声を聞き、森蘭丸に探らせたところ、この蘇鉄が「堺の妙國寺に帰ろう」とつぶやいていたという。織田信長は激怒し、伐採を命じたが、家臣が刀や斧で蘇鉄を切りつけたところ、みな血を吐いて倒れたので、妙國寺に返したという。

 2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』第28回「本能寺の変」の本編終了後の「聖地潤礼」の地が本能寺ではなく、妙國寺だったのが印象的であった。(ようするに、『どうする家康』の主人公は織田信長ではなく徳川家康であるので、織田信長がいた本能寺ではなく、徳川家康がいた妙國寺を訪れたということであろう。)

 天正10年(1582年)の「本能寺の変」の時、徳川家康は堺にいたが、この妙國寺を宿泊所としており、妙國寺の住職・日珖と彼の父・油屋常言の助けで難を逃れた。
 徳川家康は、「大坂冬の陣」の時に立ち寄り、灰被天目茶碗(徳川美術館所蔵)を持ち帰り、返礼として、蘇鉄のすばらしさを詠んだ
  妙なりや國にさかゆるそてつぎの きゝしにまさる一もとのかぶ
という和歌を添えて「宝」と朱書した光堂天目茶碗を贈ったという。(石製の歌碑あり。)

妙國寺現地案内板

 当寺は、日蓮宗本山由緒寺院で、本尊は釈迦、多宝如来・首題宝塔・四菩薩・日蓮聖人です。
 永禄5年(1562)、堺を支配していた三好四兄弟の一人、三好実休(義賢)と日珖上人の尽力によって建てられました。日珖上人は、堺の豪商、油屋(伊達)常言の息子です。堺での日蓮宗の代表的な寺院として、商人や来堺した戦国武将たちの信奉を受け、朝廷より勅願寺と定められました。徳川家康が本能寺の変の際に寄宿していたことでも知られ、大坂冬の陣の際には、灰被天目茶碗(大名物・徳川美術館所蔵)を持ち帰り、返礼としてソテツを見て詠んだ歌と光堂天目茶碗を贈ったという逸話が残っています。
 境内には他では見ることができないソテツを中心にした「枯山水の庭園(堺市指定名勝)」があります。国の天然記念物に指定されている「大ソテツ」は樹齢千年余りといわれ、織田信長をも恐れさせたという伝説の樹です。また、幕末にフランス兵との間におこった「堺事件」において、11人の土佐藩士が切腹した場所でもあります。土佐藩士らは北側の宝珠院に葬られました。

妙國寺現地案内板


2.『遠江古蹟図会』「能満寺の蘇鉄」

能満寺鉄蕉の図
10年前の仮寺の図なり。今は普請有りて立派に建てたり。
鐘撞堂、山門の前にあり。
『武田三代記』巻16に曰く「元亀2年辛未2月24日、遠州小山城普請云ひ付けられ大熊備前守を指し置き(下略)」。
今年、亥迄233年。

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