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鬼やらい/追儺/節分


■鬼やらい/追儺/節分


 追儺(ついな)とは、大晦日(旧暦12月30日)に疫鬼や疫神を払う宮中行事で、
・儺(だ、な)
・大儺(たいだ、たいな)
・駆儺(くだ)
・鬼遣(おにやらい。「鬼儺」などとも表記)
・儺祭(なのまつり)
・儺遣(なやらい)
とも呼ばれている。
 民間の年中行事「節分の豆まき」や、遊戯「鬼ごっこ」の原型だという。

 起源は、中国で、新年(立春)の前日である大晦日に行われていた辟邪(疫鬼払い)の宮中行事である。として、新年(立春)の前日である大晦日に行われていた。儺人(なじん)たちと、方相氏(ほうそうし。大儺(たいな、おおな)とも)、それに従う侲子(しんし、わらわ。小儺(しょうな、こな)とも)たちが執り行う。

※儺という字には、「はらう」という意味がある。

1.『古事類苑


 学者がよく言うのは、「「鬼やらい」などについて知りたければ、まずは「三大儀式書」、すなわち、
・『西宮記』:源高明。10C後半。
・『北山抄』:藤原公任。11C初頭。
・『江家次第』:大江匡房。12C初頭。
を読め」
です。

 その3冊の「鬼やらい」の部分を抜き出して掲載しているのが『古事類苑』です。本当に便利な本です。

4つ目の赤い服が方相氏で、紺の服が侲子。
疫病神は赤い物が嫌いなので、方相氏は赤い服を着て、侲子は赤い鉢巻をしている。

追儺ハ、オニヤラヒ、又ナヤラヒト云ヒ、字音ニテツヰナト云フ、十二月晦日ノ夜、禁中ニ於テ惡鬼ヲ驅逐スルノ儀式ナリ、其式ハ、大舍人ノ身體長大ナル者一人ヲ取リテ方相氏ト爲シ、是ヲ大儺ト云フ、方相氏ハ黄金四目ノ假面ヲ被リ、玄衣朱裳ヲ著シ、右ニ戈ヲ執リ、左ニ楯ヲ執ル、又官奴等二十人ヲ以テ侲子ト爲シ、是ヲ小儺ト云フ、侲子ハ紺布衣、朱末額ヲ著シテ殿庭ニ列立ス、陰陽師先ヅ祭文ヲ讀ム、訖テ方相氏儺聲ヲ作シ、戈ヲ以テ楯ヲ擊ツ、侲子之ニ從ヒ、親王以下桃弓葦矢桃杖ヲ執リ、相和シテ以テ惡鬼ヲ逐フナリ、中世以降其制漸ク頽レ、殿上人等、桃弓葦矢ヲ以テ方相氏ヲ射ル等ノ事アルニ至レリ。


【現代語訳】「追儺」は、「おにやらい」とも「なやらい」ともいうが、音読みで「ついな」という。12月の晦日(みそか)の夜、宮中に於いて悪鬼を駆逐するための儀である、その作法は、大舍人で、体格のよい者を1人選んで方相氏とし、これを「大儺」という。方相氏は金色の4つ目の仮面を被り、黒色の衣、朱色の裳を着て、右手に戈を持ち、左手に楯を持つ。また、官奴等から20人を選んで侲子とし、これを「小儺」という。「侲子」は、紺色の布衣を着て、朱色の末額(まっこう)を被り、殿中の庭に列立する。陰陽師は、先ず祭文を読む。詠み訖(お)えて、方相氏、儺声(だせい)をあげ、戈を以て楯を擊つ。侲子も之に従い、親王以下、桃の木の弓と葦の矢、桃の木の杖を手に取り、一斉に悪鬼を駆逐する。中世以降、この制度は、少しずつ頽(くず)れ、殿上人等は、桃弓、葦矢を以て(悪鬼ではなく)方相氏を射る等の事もあるようになってしまった、

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