「築山事件」「信康事件」の真相に迫る!
「築山事件」:天正7年8月29日、徳川家康は、正室・築山殿を粛清した。
「信康事件」:天正7年9月15日、徳川家康は、嫡男・松平信康を粛清した。
1.妻子殺しの原因
旧説:五徳の訴状を読んだ織田信長が、松平信康を殺すように命令。
新説:五徳の訴状を読んだ織田信長が、松平信康の処分を徳川家康に一任。
どちらの説でも「松平信康の粛清」の説明はできるが、「築山殿の粛清」は説明できない。とはいえ、五徳の訴状には築山殿の悪態も書かれていた。
当時は女性を粛清するのは稀で、監禁したり、出家させたりしていた。想像するに、織田信長は「松平信康は殺せ。築山殿の処分は閉じ込めてもいいし、尼にしてもいい。徳川家康に一任」と言ったのではないだろうか。
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