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原文&現代語訳『足助八幡宮縁起』(上・下)について

『足助八幡宮縁起』を読んでの私の第一印象は、
「こんな本だとは知らなかった。甘かった」
です。

 タイトルを見て、
「神社に掲示されている由緒書よりも、ちょっと詳しいだけだろう」
「1000文字くらいかな」
と思ったのですが、とんでもない。とんでもなく長かった!
 ちなみに、「原文&現代語訳『足助八幡宮縁起』」は、上下共に約1.5万文字、両方で約3万文字です!

この『足助八幡宮縁起』について、豊田市郷土資料館の公式サイトでは、次のように紹介しています。

■『足助八幡宮縁起』
 この縁起は南北朝時代の早い時期に成立したと考えられ、特に後半部分は史料的価値の高いものである。黒褐色の元の表紙の上に茶色の表紙をつけて補っており後書からすると享保19(1734)年の補修と考えられる。その内容は『続群書類従』に収録され、『参河国名所図絵』もこれから引用するなど、古くから知られたものである。
http://www.toyota-rekihaku.com/bunka/09_bunsyo/win/15.html

 私が考えていた由緒書的内容は、前半1/4であり、後半3/4は鎌倉時代の祈りについて分かる「史料的価値の高いもの」になっています。前半は神社マニア向け、後半は鎌倉マニアは向けかな? 

 私の評価は「想像以上に面白かった! 読む価値有り」です。『続群書類従』に収録されていますので、全国、どこに住んでいても、お近くの図書館へ行けば読めますよ!

■内容

Ⅰ.序文:天津神の誕生
Ⅱ.足助八幡宮の草創期:足助八幡宮の創始
Ⅲ.足助八幡宮の発展期:境内にある境内社、神宮寺、玉垣、祭礼などの整備
Ⅳ.足助八幡宮の神徳と利生
  
※神徳:祭神・八幡大菩薩が助けを求めてきた人々に与えたご利益の数々
  ※利生:神宮寺の薬師如来が衆生に与えたご利益(病気治癒等)の数々

■成立


 最後の記事は、南北朝時代(1337–1392)が始まった建武4年(1337年)の記事であることから、「この縁起は南北朝時代の早い時期に成立したと考えられ」ています。
 南北朝時代を描けば、南朝の皇子・尹良親王が登場するはず。江戸時代に徳川中心史観で書けば、南朝遺臣・徳阿弥(松平初代親氏)の『大般若経』寄進の話が登場するはず。どちらも登場しないのは、登場前の建武4年とか5年に成立したからでは?

■小見出し

 『足助八幡宮縁起』には小見出しがついていないので、次のように付けてみました。
 最も有名な「17.遠国からの旅人に優しい八幡神」については、内容的には複数ありますが、1つにまとめるなど、独自の区切り方をしています。

Ⅰ.序文
Ⅱ.足助八幡宮の草創期
 1.3体の怪異の出現
 2.飯盛山の鬼
 3.足助八幡宮の創建
 4.2人の子のその後
Ⅲ.足助八幡宮の発展期
 5.源秀弘
 6.巫女
 7.境内社・若宮
 8.境内社・猿投社
 9.境内社・八劔宮
 10.本神領         【源頼朝・建久6年(1195年)】
 11.円範僧都
 12.大社化と祭礼 【元久元年(1204年)/源頼重・承元元年(1207年)】
 13.回廊と瑞垣の寄進    【藤原俊高・建仁3年(1203年)】
 14.鐘の寄進      【仁木郷の左京太夫・建保年中(1213-1219)】
 15.『五部大乗経』     【橘助長・正治2年(1200年)】
 16.『大般若経』      【源長重・建永元年(1206年)】
 17.天台宗から真言宗への改宗【澄永法印・貞応2年(1223年 )】
 18.源頼朝夫妻の肖像画   【宮殿・建保元年(1213年)】
 19.足助の地
 20.祭礼時と普段の様子
---------------------------------------------------以上『足助八幡宮縁起』(上)
Ⅳ.足助八幡宮の神徳と利生 
 1.敦仁親王の病気治癒      【光孝天皇の御宇 (884-887)】
 2.内親王の病気治癒       【一条天皇の御宇 (986-1011)】
 3.三品親王の病気治癒      【四条天皇の御宇 (1232-1242)】
 4.四条大納言公頼の打撲治癒   【御堀河天皇の御宇(1221-1232)】
 5.保覚法親王の打撲治癒     【土御門天皇の御宇(1198-1210)】
 6.源憲義の打撲治癒       【伏見天皇の御宇 (1287-1298)】
 7.刑部行元、領地裁判で勝訴
 8.猿投社の祭田           【仁治元年(1240年)】
 9.鐘の再鋳造            【正嘉2年(1258年)】
 10.八劔宮の神田と祭礼
 11.灯炉               【文応元年(1260年)】
 12.紀平太夫の妻の悪性腫瘍治癒    【文永5年(1268年)】
 13.氏子の海難救助          【文永7年(1270年)】
 14.領主・長崎殿の逃げた馬を見つける。【延慶4年(1311年)】
 15.領主・長崎殿の正室を安産に導く。 【正和2年(1313年)】
 16.領主交替。足助氏から吉河氏へ   【元弘3年(1333年)】
 17.遠国からの旅人に優しい八幡神   【建武3年(1336年)】
 18.源基連の子の肩の矢傷を治癒    【建武4年(1337年)】
 19.安藤光俊入道行頓からの比較仏教論 【応長年中(1311-1312)】
---------------------------------------------------以上『足助八幡宮縁起』(下)

★原文&現代語訳『足助八幡宮縁起』(上) 
https://note.com/sz2020/n/n72820b54cead  
★原文&現代語訳『足助八幡宮縁起』(下)
https://note.com/sz2020/n/nee50a3f33771
★『参河国名所図絵』(下・賀茂郡)「八幡社」等
https://note.com/sz2020/n/n21288442e083
(『参河国名所図絵』では、小見出しを付け、「当社縁起に」として、『足助八幡宮縁起』の約半分が転記されています。なお、『参河国名所図絵』の小見出しと、当記事の小見出しとは異なります。)

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