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12月8日は何の日?

──今夜は満月。


■事八日(ことようか。御事(おこと)納め、正月事始め)

八日正月事始め(世俗「お事」といふ)。家々、笊(ざる)、目籠(めかご)を竿の先に付て屋上に屋上に出す。(二月八日のごとし。又、今日を「事納」とし、二月八日を「事始」とするは、可ならざるよし、『総鹿子名所大全』に既にいへり。されど中古よりも、かく、となへ来りしにや。『芭蕉庵小文庫』に載る冬の句に、
  一雨や相場の替る事納  嵐竹
  身代も籠でしれけり事納 史邦)

『東都歳時記』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764258/21

二月八日事納 江戸中町々の家毎に、籠を竿に懸て高く屋上に建置く。いかなる故とも知り難し。或書に「九字の形を表して魔除也」と云は、付会の説成べし。殊更、今日を「事始」と云は、弥心得がたし。十二月八日を始として、今日を納めといはヾ可ならんか。暦にも、十二月に、「正月事始よし」と記せし日多し。然ば、此日を「事納」とせん事、勿論なるべきにや。

『江戸總鹿子新増大全』
https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/saij_1/saij_1_1055.pdf

事納(八日) 針供養、六質汁、武江の俗、二月八日を「事おさめ」とし、十二月八日を「事はじめ」といひて、竹竿の先に目笊を付けて家々の軒に出す。又、今日、芋、牛房、大根、赤小豆等の六種を烹て汁とし、これを「六質汁」と名づく。婦人は針の折たるを集て、淡島の宮へ納め、一日線針の業を停。これを「針供養」といふ。いまだその由來をしらず。

『俳諧歳時記』

12月8日は、農作業を中断し、
・田の神を山に帰す神事を行う。
・大掃除(お祓い)をして、1年の穢れを取り除く。
・お事汁(おことじる)というみそ汁を作って食べる。
・針供養をする。
なお、農作業の再開は、山の神を田に下ろす神事を行う来年の2月8日である。
 一説に、「事」とは、農作業ではなく、正月行事であり、12月8日は、正月行事の準備を始める日なので「正月事始め」といい、2月8日までには正月行事の後片づけを終わらせるのだという。

※お事汁:6種類の具を入れるので「六質汁(むしつじる)」とも、飲めば「無実の難(冤罪)を逃れられる」ともいう。具は地方によって異なるが、普通は、大根、人参、里芋、蒟蒻、牛蒡、小豆である。(他には焼き豆腐。小豆のかわりに赤大豆、大角豆。)江戸では「従弟煮」とも呼んだ。

 江戸にて、二月八日、十二月八日、芋、菎蒻、小豆などをいれて汁をにる。これを「おこと汁」と云。「二度ともに事はじめ也」とも、「事おさめなり」ともいひて、さだかならず。
 「尾張にては、二月は不沙汰なり。骨のなき物をくふ事なり」といふ。「むじつ講」とて、「無実の難をまぬがるヽ義也」といひ伝へたり。「臘八は釈迦成道の義なり」といふは付会なり。「「おこと」とは何事ならん」と、年比不審なりしを、出雲国日御崎の神職・神西左門行䄻が語けらく、「出雲にては、十二月十三日に、煤取などやうの正月の事をしそめて、芋、菎蒻、小豆等の汁をくふ。これを「事始」といふ。さて、年神をまつりて、正月廿日に鏡餅を撤却して飯を供す。是を「飯くらへ」と云。二月一日、鱠を供す。是を「なますくらへ」と云、鱠くらへ七日ありて、八日に年神の棚を取。これを「事おさめ」と云。十二月と同じ汁をくふ」といへりき。これにて「事」とは、正月の事なることも、初終もよくわかれたり。

『年年隨筆 』
お事始にて目笊を出せる図

※目籠:関東地方や静岡県の伊豆では、目篭(目を粗く編んだ竹籠)、笊(ざる)、味噌漉しを竿の先に付けて立てる。軒先に吊るす地方もあれば、屋根の上に取り付ける地方もある。これは、たくさんの「目」を持つ目篭や笊に妖怪「だいなまこ(大眼))」「一つ目小僧」や鬼や疫病神が驚いて逃げ出す「魔除け」だという。ハート型の「猪目」には火伏せ効果があるという。火消の纏にも見える。火事の多い江戸らしい風習であると思う。
 他には、修験者が呪文を唱えながら指で縦4本X横5本の線を描く(九字、格子状の印「ドーマン」)と編み目が似ていることから、魔除けの意味があるとする説もあり、由来は不明。

 或説に、(二月八日は、)神代武甕槌命魔鬼制伏出陣の日なり。十二月八日は、歸陣の日なりとはいへり。(注:源義家朝臣奧羽征伐の事を始め給ひしは十二月八日にして、軍機の事を納給ひしは二月八日也とも。)むかし、神託の告ありて、此日、靫に矢をもりて神へ奉りしより、今も目籠を竿の先にかけて庭中へ建る。是、則ち靫を捧し遺風なりと云り。(俗説詳らかならず。いづれの書にも此事見えず。)
 又、国俗、十二月八日を「事始」として、正月の事を取り賄ひ始る日とし、二月八日を正月の事を賄ひ納る日といへり。是、又、據なし。
 十二月八日は「臘八」とて、竈を祭るの日なり。又、案に、靫をさヽげし遺風にて、目かごを用るも尤據あり。元來、矢を盛を箙、又、胡籙ともに、元ト蠶を養ひし筐なり。夫を用ひて矢を盛りたるが故に、箙の字は竹冠にして服の字作りたり。エビラと云は衣枚の訓也。胡籙は漢字にて、訓は「矢の杭」とも、又、矢の根を喰せ置故に、「矢の喰」ともいえり。二説也。此の如く、其の起る所は筐よりなれば、今の世、目籠を用るも然るべし。或云、「籠の目の多きによりて、鬼魅をして恐れしむ」とも。何も俗論なり。

『歳時故実大概』

■REMEMBER PEARL HARBOR!


 最近、思うのは、故人の命日はもちろん、月命日にもお墓参りをしたり、毎日、お仏壇にお線香をあげたりするのに、故人の誕生日祝いはしたことないなぁと。(「没後○年忌」はあっても、「生誕○年祭」は少ない。)
 話変わって、「終戦記念日」はあるけど、「開戦記念日」は無いなぁ。「開戦日」は、始めた方は忘れても、やられた方にとっては「国辱の日」として忘れられない。
 81年前の今日(ハワイ時間では12月7日)、日本軍は真珠湾攻撃(Attack on Pearl Harbor)を行った。2日後の12月9日、新聞に「アラモ砦の戦い」のスローガン「Remember the Alamo!(アラモを忘れるな)」をもじった「REMEMBER PEARL HARBOR!(真珠湾を忘れるな)」が掲載させ、一気にアメリカ全土を席巻する国民的スローガンとなった。
 戦争開始(真珠湾攻撃)から81年。戦争を知る人たちは高齢になった。(終戦は、昭和20年(1945年)8月15日。その日に生まれた方は77歳。)戦争の記憶が消えつつある今、改めて「REMEMBER THE WAR!(戦争の悲惨さを忘れるな)」と叫びたい。


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