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謡蹟巡り 白拍子との恋

 「白拍子」は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞、及び、それを演ずる芸人。当時は「鎌倉街道」が整備されたばかりで、宿場町が形成されておらず、高貴な人は、街道沿いの長者の家に泊まった。
 その時、高貴な人の相手をしたのが「白拍子」で、高貴な人の相手が出来るだけの教養を身につけていた。
 「歩き巫女」が行脚中に舞を披露していく中で、次第に芸能を主としていく「遊女」へと転化していき、そのうち、男装して踊る「男舞」に長けた者を「白拍子」と呼んだという。(「ややこ踊り」を基に「かぶき踊り」を創始した出雲阿国も、元は出雲大社の巫女(『言経卿記』「天正15年(1588年)2月の条」)とも、京都出雲路の幸神社(京都府京都市上京区幸神町)の巫女だったとも。)

■『平家物語』(巻1)「祇王」
 そもそも我朝に、白拍子の始まりけることは、昔、鳥羽院の御宇に、島の千歳、和歌の前とて、これら二人が舞ひだしたりけるなり。初めは水干に、立烏帽子、白鞘巻をさいて舞ひければ、男舞とぞ申しける。しかるを中ごろより、烏帽子、刀をのけられて、水干ばかりを用いたり。さてこそ白拍子とは名付けけれ。

旅は不安で、ホームシックにもなりますね。
そんな時、目の前に絶世の美女が現れたら、恋に落ちちゃう!?

平清盛&祇王(平家家人・江部時久の娘。母・刀自、妹・妓女も白拍子)
平清盛&仏御前(父・白河兵太夫は、加賀国原村の五重塔の塔守)
平重衡&千手/千寿の前(駿河国手越長者の娘)
平宗盛&熊野(ゆや、遊屋)御前(池田荘の荘司・藤原重徳の娘)
源義朝&池田宿の遊女(子供が源範頼)
源頼朝&妙相(「女長者」として知られる橋本長者)
源義経&浄瑠璃姫(兼高長者の娘)
源義経&静御前(母は白拍子の磯禅師)

■千寿の前

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