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式内・赤淵神社(兵庫県朝来市和田山町大字牧田字上山)


1.日下部氏の出自


 但馬国の古代豪族・日下部(くさかべ)氏は、私には「日下の草香」を本拠地とした物部氏の分家に見えますが・・・
〇開化天皇の孫・狭穂彦王に始まる但馬国造の日下部君の後裔説(『古事記』『大日本史』)
〇孝徳天皇の子・有馬皇子/孫・表米親王(日下部表米)に始まる、日下部宿禰の後裔説(『赤淵大明神縁起』『朝倉始末記』)
など10説もあります。

①饒速日命の孫・彦湯支命(比古由支命)の後裔。物部氏の一族。
②火闌降命(薩摩国の隼人族の祖)の後裔で、犬養部と同祖の氏。
③開化天皇の皇子日子坐王の後裔。因幡国で朝臣姓「草香部」を名乗った。
④開化天皇の孫・山代之大筒木真若王(彦坐王の子)に始まる、但遅麻国造族の日下部君(『古事記』、『大日本史』)。
⑤開化天皇の孫・狭穂彦王(彦坐王の子)に始まる、甲斐国造族の日下部直、河内の日下部連。
⑥仁徳天皇の皇子である大草香(おおくさか)皇子の後。
⑦孝徳天皇の孫・表米親王(日下部表米)に始まる、日下部宿禰の後裔(『 朝倉始末記』『赤淵大明神縁起』)。
⑧大彦命の子・紐結命に始まる日下連。
⑨若多祁命の子・田狭乃直に始まる伊豆国造族の日下部直。
⑩天日和伎命の6世孫・保都祢命の末裔の日下部首。

 ③・④・⑤の系統はいずれも彦坐王の後裔とされている。
 また山代之大筒木真若王後裔説と孝徳天皇後裔説のどちらも表米以降の系譜はほぼ同じであるが、部民制度の成立を考えた場合にとくに⑦の孝徳天皇後裔説は疑問点が多いとされる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

※鈴木正信「『日下部系図』の諸本について
※「日下部氏系図」(『続群書類従』巻第172所収)

■『朝倉始末記』(巻第一)「朝倉家由来之事」

https://dl.ndl.go.jp/pid/3431173/1/149

 倩(つらつら)往古を考ふるに、孝徳天皇の皇子・表米親王と申せしは曩歳異賊襲来の時、其の子・荒島の王と共に詔を蒙て但馬の海に出、一戦敵を靡けて帰京の時、叡感殊に甚く、但馬の国朝倉郡大領よして、始て日下部の姓をぞ賜りける。
 其苗裔・朝倉太郎大夫高清に八代の後胤・朝倉孫右衛門広景と云人あり。建武年中まで数代、但馬の国に居住せり。
 其比天下、大に乱れ、国々所々或は公家、或は武家と立分れて合戦止時なし。正慶二年四月下旬、源の尊氏公、丹波国篠村に御着の時、孫右衛門尉広景も、足利武衛高経の手に属して出陣。其後、暦応元年、越前国に於て新田左中将義貞朝臣、与高経合戦。今玆閏七月二日、高経撃義貞、越前国中を治給ひ、即広景を当国坂南郡黒丸城に居へ置給ふが故に黒丸右衛門尉広景入道と号す。

孝徳天皇─表米【日下部】┳都牟自【但馬日下部】…
             ┗荒島王【丹波日下部】…黒丸広景【朝倉】

 浦島太郎にしろ、朝倉義景にしろ、丹波日下部家というのは、但馬国造・但馬日下部家の分家で間違いない気がする。とはいえ、「旦波(たには)王朝」の勢力範囲が但馬(儋馬、多遅摩、但遅麻)、丹波、丹後(通称「三タン」)に分けられたのであろうから、丹波も但馬も元は同じ旦波国なので、区別しなくても、丹波日下部家でいいように思う。

のちに但馬国となる地域には以下の2つの国造が置かれていた。
但遅麻国造(たじまのくにのみやつこ、たじまこくぞう) ⋯⋯ のちの但馬国東部にあたる地域(のちの朝来郡・養父郡周辺にあたる)を支配した。氏族は但馬氏。『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば第13代成務天皇の代に竹野君同祖の彦坐王(第9代開化天皇皇子)の五世孫である船穂足尼を国造に定めたという。
二方国造(ふたかたのくにのみやつこ、ふたかたこくぞう) ⋯⋯ のちの但馬国西部にあたる地域を支配した。但馬国には二方郡の名が残り、明治29年(1896年)七美郡と二方郡の地域をもって発足した美方郡の現在の郡域(香美町・新温泉町)の周辺が二方国造の支配地域である。『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば但遅麻国造と同じ成務天皇朝に出雲国造同祖の遷狛一奴命の孫である美尼布命を国造に定めたという。
 こののち、のちの丹波国・丹後国・但馬国の3国にあたる地域は丹波国造の支配地域である丹波国となった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

※「国造」というのは、国から派遣された役人「国司」とは違い、地元の豪族が就任するものであった。

※後裔の朝倉義景が調査させて書いた『赤淵大明神縁起』によれば、孝徳天皇の末裔ということであるが、学者は否定している。(日下部表米を孝徳天皇と結びつける説は、日下部氏が「大化の改新」前後に従来の但馬国造家であった但馬君氏に代わって国造の地位に就いたことを示していると考えられている。)

 ということで、開化天皇の子・彦坐王の末裔ということでOK?

開化天皇…笠古乃君─表米【日下部】┳都牟自…
                  ┗荒島【丹波日下部】…宗高【朝倉】

2.赤淵神社


 舒明天皇の御世(629-641)、嫡孫・日下部宿禰(日下部氏の祖。表米宿禰命(ひょうまいすくね)。日下部氏=孝徳天皇後裔説の系図では「表米親王」)が但馬国造に任じられた。始祖・赤淵足尼神を祀ったことが赤淵神社の創始とされるが、社伝ではその100年以上前の継体天皇の御世の507年の創建とする。

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