1.日下部氏の出自
但馬国の古代豪族・日下部(くさかべ)氏は、私には「日下の草香」を本拠地とした物部氏の分家に見えますが・・・
〇開化天皇の孫・狭穂彦王に始まる但馬国造の日下部君の後裔説(『古事記』『大日本史』)
〇孝徳天皇の子・有馬皇子/孫・表米親王(日下部表米)に始まる、日下部宿禰の後裔説(『赤淵大明神縁起』『朝倉始末記』)
など10説もあります。
※鈴木正信「『日下部系図』の諸本について」
※「日下部氏系図」(『続群書類従』巻第172所収)
■『朝倉始末記』(巻第一)「朝倉家由来之事」
孝徳天皇─表米【日下部】┳都牟自【但馬日下部】…
┗荒島王【丹波日下部】…黒丸広景【朝倉】
浦島太郎にしろ、朝倉義景にしろ、丹波日下部家というのは、但馬国造・但馬日下部家の分家で間違いない気がする。とはいえ、「旦波(たには)王朝」の勢力範囲が但馬(儋馬、多遅摩、但遅麻)、丹波、丹後(通称「三タン」)に分けられたのであろうから、丹波も但馬も元は同じ旦波国なので、区別しなくても、丹波日下部家でいいように思う。
※「国造」というのは、国から派遣された役人「国司」とは違い、地元の豪族が就任するものであった。
※後裔の朝倉義景が調査させて書いた『赤淵大明神縁起』によれば、孝徳天皇の末裔ということであるが、学者は否定している。(日下部表米を孝徳天皇と結びつける説は、日下部氏が「大化の改新」前後に従来の但馬国造家であった但馬君氏に代わって国造の地位に就いたことを示していると考えられている。)
ということで、開化天皇の子・彦坐王の末裔ということでOK?
開化天皇…笠古乃君─表米【日下部】┳都牟自…
┗荒島【丹波日下部】…宗高【朝倉】
2.赤淵神社
舒明天皇の御世(629-641)、嫡孫・日下部宿禰(日下部氏の祖。表米宿禰命(ひょうまいすくね)。日下部氏=孝徳天皇後裔説の系図では「表米親王」)が但馬国造に任じられた。始祖・赤淵足尼神を祀ったことが赤淵神社の創始とされるが、社伝ではその100年以上前の継体天皇の御世の507年の創建とする。