清須同盟
天文3年(1534年)5月12日 吉法師(後の織田信長)、誕生
天文11年(1547年)12月26日 竹千代(後の徳川家康)、誕生
天文16年(1547年)? お市、誕生(諸説あり)
永禄2年(1559年)3月6日 松平元康の長男・竹千代、誕生
永禄2年(1559年)10月12日 織田信長の長女・徳姫、誕生
永禄3年(1560年)5月19日 「桶狭間の戦い」
永禄3年(1560年)6月18日 「第2次 石ヶ瀬の戦い」(vs 水野信元)
永禄3年(1560年)6月19日 「刈谷十八町畷の戦い」(vs 水野信元)
永禄4年(1560年)2月 7日 「第3次 石ヶ瀬の戦い」(vs 水野信元)
永禄4年(1560年)2月 「尾三同盟」(織田信長と和睦)?
永禄4年(1561年)4月 今川氏から独立(「牛久保城攻め」)
永禄5年(1562年)1月15日 「清須同盟」(織田信長と和睦)
永禄6年(1563年)3月 竹千代と徳姫、婚約
永禄6年(1563年)7月 「元康」から「家康」に改名
永禄9年(1566年)5月 「三河国平定」(牛久保の牧野氏が従属)
永禄9年(1566年)12月 「松平」から「徳川」に改姓。三河守叙任。
永禄10年(1567年)5月27日 竹千代と徳姫、結婚(「尾三同盟」)
永禄10年(1567年)9月? お市、浅井長政と婚約(諸説あり)
★「清須同盟」締結の時期
・説①:永禄4年(1560年)2月 =学説
・説②:永禄5年(1562年)1月15日=通説
・説③:永禄6年(1563年)3月
説②:永禄5年(1562年)1月15日に松平元康が清須城へ行き、織田信長と結んだのが「清須同盟」であるとするが、学者は「戦乱の時代、松平元康が清須城へ行くことはできない」「あるとしたら、仲介人(水野信元)が清須城へ出向いての和睦(休戦協定)である」とする。
説①:学者によれば「松平元康が今川氏からいつ独立したかは不明であるが、今川氏真が松平元康の独立を確信したのは「牛久保城攻め」であり、牛久保城を攻めて、今川氏からの独立を宣言できたのは、織田氏という後ろ盾があったからである」として、「尾三同盟」の時期は、「牛久保城攻め」の前だとする。
説③:当時、「同盟」には、婚姻関係が必要であった。きちんと「尾三同盟」が結ばれたのは、竹千代と徳姫が結婚した時だと考えられる。
説①か説②が史実だとすると、両家が婚姻関係で結ばれなければならない。結婚適齢期の人物といえば、松平元康とお市である。
お市の初婚の相手は浅井長政で、その時期は永禄7年と考えられてきたが、現在は否定されている。永禄10年9月、浅井長政が市橋長利を介して織田信長に同盟を求めてきた結果、縁談がまとまり、同盟を結んだとされる。
お市は、竹千代と徳姫が成長して結婚するまでの間、松平元康の結婚相手として、ストックされていたようである。