神功皇后による仲哀天皇殺しの共犯の追及が圧巻!!「他には?」「他には?」と神を責めまくる!!
『日本書紀』は歴史書であって、『古事記』のような物語のように面白くはないが、面白い場面はある。
たとえば、神功皇后が夫・仲哀天皇を殺した共犯を追及する場面である。神功皇后自ら斎宮となり、審神者(さにわ)には中臣烏賊津使主(この時期、まだ「中臣氏」は存在しない。「対馬卜部氏」であろう)が選ばれた。
神功皇后は、夫・仲哀天皇を殺した主犯が「住吉三神」であると知っていたが、共犯がいたと思ったらしく、その場にいた神を知りたいと思ったのである。
七日七夜にわたって問い続けると、根負けした安楽島の神が答えた。
安楽島神「瀬織津姫命」
神功皇后「他には?」
安楽島神「私。名は名乗れないが、安楽島にいる神」
神功皇后「他には?」
安楽島神「事代主神」
神功皇后「他には?」
安楽島神「・・・」
審神者 「このまま問い続けましょう。そうすれば思い出すかと」
安楽島神「住吉三神」
神功皇后「他には?」
安楽島神「・・・」
主犯の名が出たので、もうこれ以上共犯はいないと思い、質問を打ち切った。
神と対等にやりあえる神功皇后は凄い!
──父王異焉。
神功皇后の父・気長宿祢王は、娘・神功皇后を「普通の人とは異なる異能の人(霊感が強く、神に近い巫女的存在)」と評している。
なお、夫・仲哀天皇について、神功皇后は、「神意に背いた大馬鹿者」と思っていたらしく、共犯の神々を祀ったとある。後に(神功皇后摂政元年に)は、
・瀬織津姫命→広田神社(斎宮:葉山媛)
・安楽島神(稚日女尊)→生田神社(斎宮:海上五十狹茅)
・事代主神→長田神社(斎宮:長媛)
・住吉三神→現状維持(大津の渟中倉(ぬなくら)の長峽)
に祀った。さらに、死後は自ら神と成り、主犯の住吉三神と共に「住吉大神」として、全国の住吉神社に祀られている。
また。息子の応神天皇も、母親同様、神に近い「異」なる存在で、死後は八幡大神となり、母親の神功皇后、姫神と共に「八幡三神」として、全国の八幡宮に祀られている。(姫神の正体は不明である。単純に考えれば応神天皇妃であるが、宇佐の地主神説、卑弥呼説、台与説もある。)
【余談】 私は、卑弥呼が使ったという「鬼道」とは「邪道」のことだと考えている。「正道」とは、神意を伺ってそれに従うことであり、「邪道」とは、神とわたりあったり、神を利用したりすることである。