猿橋(算橋)
大長七年(698年)、文武天皇がご病気になられた。夢のお告げによると、「三河国の煙岩山(現在の鳳来寺山(総称)の1つの峰)に住む利修仙人の加持祈祷を受ければ治る」というので、早速、勅使を派遣したが、勅使の前に大河が! どう渡る勅使?
■『三河国設楽郡矢部村勅養寺縁起』
文武天皇大長七年戊戌、天王御悩忽也。依霊夢告被下勅使於三州、含詔命下向。路次一宇堂有。中福寺号勅養寺。翌日欲尋上煙岩山。途中有大河。而安可渡無様心神迷惑失度。然所、自上山猿共多下引来長木一丈計、広五、六寸。此河両岩狭所僅五、六尺在両方大岩成出水行所狭、如堤口。水落千重波畳、逆浪洄伏水音宛如衆皷集石。聚猿来此所引渡長木彼方此方往反。勅使此遠見、我即可渡之思無相違越大河。今号算橋猿橋也。
https://note.com/sz2020/n/n881b51e716cd
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