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超海『瑞応塵露集』 と善慧『掃塵夜話』

①超海通性『薬師如来瑞応伝』(1727年)、『瑞応塵露集』(1733年)
②鳳来寺松高院
善慧尋得『三河国鳳来寺略縁起』『掃塵夜話』(1763年)

 超海通性『瑞応塵露集(ずいおうじんろしゅう。薬師如来瑞応塵露章)』は、薬師如来の感応、霊験を集めた江戸時代の説話集(全6巻6冊)。

 鳳来寺の縁起書は複数あるが、最も売れたのは善慧尋得『三河国鳳来寺略縁起』(『掃塵夜話』との合本)である。

 超海通性は、薬師如来に関する説話集『薬師如来瑞応伝』『瑞応塵露集(薬師如来瑞応塵露章)』において、「『利修仙人』と書いているが、正しくは『理趣仙人』である」などと書いた。これに反応した善慧尋得は、『三河国鳳来寺略縁起』の末に
○薬師如来瑞応伝、同塵露集などに当山の事を記せり。可笑(おかしき)ことおふし。明証(みょうしょう)なき事は口に説くも恥ずべし。況(いわん)や梓(あづさ)にちりばめしをや。委(くわしく)は別に記す。
として書いたのが『掃塵夜話』(吾が山の道を社(ふさ)ぐ塵を掃(はら)う夜噺)で、「理趣仙人」ではなく「利修仙人」である理由を長々と記している。

超海は『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』の中で三河国鳳来寺の薬師仏の霊験について記述しているが、その中で鳳来寺開山を「理趣仙人」と記している。この「理趣仙人」という記述に対して、鳳来寺松高院住持「善慧尋得」は、『掃塵夜話』という附録を合綴した『三河国鳳来寺略縁起』を発行した。その中で超海通性を名指しで批判し、「理趣仙人」の表記が「利修仙人」であることを主張する。この問題は、近世鳳来寺一山組織が天台系僧坊と真言系僧坊との共存状況であったことや、近世社会における縁起言説の管理の問題をはじめとする諸問題を含んでいる。(加藤基樹)

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