藤原元命(藤原北家魚名流)は、花山天皇の側近であった藤原惟成の叔父で、尾張国守に任命された。
赴任先の尾張国で、女性に会いに行く途中、尾張国鳴海の「地獄沢」(愛知県名古屋市緑区)において、橋が無かったので、近くの地蔵菩薩が彫られた卒塔婆を石橋にして踏んで谷川を渡るが、仏罰により絶命した。
閻魔大王は、地獄行きを命じるが、そこに地蔵菩薩が現れて助命嘆願し、生き返ったという。
「今、定かならず」と言われると、探したくなる。
まずは、『尾張名所図会』の「如意寺」の条を読む。
「地獄沢」は、新海池の南側の「作の山」にあり、青鬼山地蔵寺(現・如意寺)は、新海池の北側の「地蔵山」(鳴海八幡宮の由緒では「小松山」)にあったのではないかとされている。
いずれにせよ、新海池の周辺にあったと思われるが、「地獄沢」は昭和時代の宅地造営で埋め立てられ、藤原元命の従者・為家が建てた「鳴海の地蔵」地蔵寺は廃寺となったが、鳴海町作町に「蛤地蔵」如意寺として再建された。
──なぜ東海道(国道1号線)沿いではないのか?
東海道とか、東海道五十三次・鳴海宿というのは、江戸時代以降の話であり、平安時代の街道は、後の鎌倉街道・古鳴海宿を通っていたからである。藤原元命は、街道を通っていたが、夜の事であったので、脇道にそれてしまい、地獄沢に至ったのであろう。
現在の如意寺は、鳴海城近くの「鳴海町作山」にある。寺と共に住所も移ったのであろうか。