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結局、神功皇后の「三韓征伐」とは何だったのか?


 「三韓」とは「馬韓」「辰韓」「弁韓」の総称であるが、『日本書紀』には「新羅征伐」とある。
 新羅が降伏した後、百済、高句麗んの2国も相次いで日本に従属したので、この「三国従属」を「三韓征伐」という。

 「征伐」と言っても、戦ってはいない。勝手に朝鮮各国が降伏した。これを豊臣秀吉が読んだら、「朝鮮って弱いんだ。まず手に入れて、中国侵攻の前線基地を築こう」と思うかもね。いや、読んだので、朝鮮出兵を決意したのかも。

 三韓征伐(さんかんせいばつ)は、仲哀天皇の后で応神天皇の母である神功皇后が、仲哀天皇の没後新羅に出兵し、朝鮮半島の広い地域(三韓)を服属下においたとする日本における伝承である。
 『日本書紀』では新羅が降伏した後、三韓の残り二国(百済、高句麗)も相次いで日本の支配下に入ったとされるためこの名で呼ばれるが、直接の戦闘が記されているのは対新羅戦だけなので新羅征伐と言う場合もある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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