結局、神功皇后の「三韓征伐」とは何だったのか?
「三韓」とは「馬韓」「辰韓」「弁韓」の総称であるが、『日本書紀』には「新羅征伐」とある。
新羅が降伏した後、百済、高句麗んの2国も相次いで日本に従属したので、この「三国従属」を「三韓征伐」という。
「征伐」と言っても、戦ってはいない。勝手に朝鮮各国が降伏した。これを豊臣秀吉が読んだら、「朝鮮って弱いんだ。まず手に入れて、中国侵攻の前線基地を築こう」と思うかもね。いや、読んだので、朝鮮出兵を決意したのかも。
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