1.鯉を食ってしまった家臣
「徳川家康は、三代目・茶屋四郎次郎清次が出した鯛の天ぷらを食べて食中毒で死んだ」とする俗説がある。中村勘九郎さんが1人3役で登場するものと思っていたが、「鯉を食べて皆で「海老すくい」」という回想になった。
『ONE PIECE』も、こういう大団円で終わるんだろうなと思った。
【要約】徳川家康の岡崎城在城時代、勝手に鷹場で鳥を獲った者や、城の堀で魚を獲った者たちが、徳川家康の怒りを買い、牢に閉じ込められた。処刑されるという。これを聞いた鈴木久三郎は、来賓に馳走するための鯉(3匹の内の1匹)や、織田信長からいただいた「南都諸白」 (なんともろはく。奈良県産の最上級の清酒)を、皆に振舞った。徳川家康は、烈火の如く怒り、薙刀を手にして、鈴木久三郎を呼びつけた。すると鈴木久三郎は、「鳥や魚のために家臣を殺すような者に天下が取れるか」と言った。この言葉に徳川家康は心を打たれ、鈴木久三郎や、捕らえていた者たちを赦免した。鈴木久三郎は「私のような下級武士の諫言を聞き入れるとは、まさに天下人にふさわしいお方」と感激して泣いたという。
・ドラマの場合は祝言の日ですからねぇ。めでたい日に放生会ならいいけれど、誅殺はせんでしょ。(捕らえておいて、処刑は後日でしょ。)
・「美濃攻め」で忙しい織田信長が婚礼に来られないのに豊臣秀吉は戦線離脱して鯉を届けに来ている。五徳の従者に持たせればすむ話では? この時代、忙しくなくても、父親は来ないのに、徳川家康は来ると信じてしまう。
・この鯉を食べた話は有名で、「鯉の御意見」という講談になってます。
また、「三方ヶ原の戦い」の時、鈴木久三郎は、徳川家康の身代わりとなろうとしたが、徳川家康は、家臣を死なせてまでも落ち延びることを拒んだ。鈴木久三郎は怒り、徳川家康から軍配を奪い取り、ただ一人、敵中に取って返して奮戦した。浜松城に帰還した徳川家康が、「鈴木久三郎は死んだであろう」と悲しんでいると、生還したので、「よく生きて戻れたな」と言うと「(武田軍は戦国最強というが)思ったより手強くなかった」とさらっと言って座った。
【解釈】来賓用の鯉を食べ、織田信長から拝領した高級酒を飲んだ時は殺されると思ったが、許してくれたので恩返しをした。同じように恩返しをした夏目吉信は討死したが。
・竜沢良芳『新講近古史談』「鈴木久三郎」
https://dl.ndl.go.jp/pid/1456328/1/12
2.徳川家光の「兎図」
土岐氏は、プレゼント用に「土岐の鷹」を描いていたが、徳川家光も家臣への贈答用に絵を描いていたという。
「兎図」は5年前の2018年に公開された。
築山殿&信康の幽霊が、かくれんぼが終わったかのように出てきた。(私的には、「木彫りの兎を封じた箱のふたを開けると、白い煙と共に登場」がよかった。)幽霊がここにいるということは、非業の死ゆえに成仏できないでいたということであろう。(凄いのは、竹千代に築山殿&信康の幽霊が見えたこと。奇妙なのは、幽霊が紙(竹千代の絵)を持てたこと。)
いずれにせよ、これで徳川家康の霊は、自分を拒否した戦国武将たちの霊(真田信繁に殺されて共に成仏するつもりでいた武田信玄や織田信長の霊)や、本多正信(徳川家康(4/17没。享年75)の約2ヶ月後の6/7に没。享年79)の霊と共にではなく、築山殿&信康の幽霊と共に、親子揃って極楽浄土へ行ける! めでたし、めでたし。