結局、「寛和の変」とは何だったのか? 黒幕はいるのか、いないのか? いるとしたら誰か?
「寛和の変」とは、単なる「花山天皇の出家」だと思うのですが、「変(クーデター)」なのだそうです。
確かに、単なる「花山天皇の出家」であれば、夜に内裏を抜け出して出家しなくても、昼間に堂々と出家宣言をして、昼間に堂々と出家すればよいのです。なぜ、そうしなかったのか?
──出家したくないのに、出家させられた。騙されたんじゃないの?
いえいえ、それならもっと暴れるはずです。例えば、法皇として院政を行うとか。暴れないということは、本人が出家したいと思っていたからでしょう。その気持ちを近侍の藤原道兼が知り、父・藤原兼家が、「異論が出ないように深夜にこっそりと出家する」という確実な方法を考えたのでしょう。藤原兼家は、いつかは娘・藤原詮子が生んだ懐仁親王を天皇にし、自分が外祖父になって摂関政治をしようと思っていたことでしょう。しかし、花山天皇は19歳と若く、懐仁親王への譲位は数十年後の話で、藤原兼家は生きていないでしょう。
花山天皇が出家したいと思った理由は、
①最愛の藤原忯子(藤原為光の娘)が急死したから。
②政治に未練が無いから。
でしょう。
①藤原忯子の急死は「寛和の変」(寛和2年6月23日)の1年前の寛和元年7月18日です。1年間、「出家しようか、やめようか」と悩み続けていたことでしょう。側近(外叔父・藤原義懐と乳母子・藤原惟成)に「出家」を口にしても拒否されたことでしょう。
②花山天皇は17歳で即位し、次々と革新的な政治を行ったが、急変させ過ぎて、周囲がついていけなかった。外祖父・藤原伊尹はの即位時には既に亡くなっており、側近の藤原義懐と藤原惟成は、まだ若く、位階も低かった。貴族の中には反発して出仕しない者も現れ始めた。これではまともな政治が出来ません。
花山天皇の出家要望を耳にした藤原道兼は、確実に、
①花山天皇が退位する。(花山天皇には希望通り出家していただく。)
②懐仁親王が即位する。(円融天皇に重祚させない。)
方法を考えたと『愚管抄』にありますが、ことは重大ですので、藤原兼家一家で知恵を絞ったことでしょう。大河ドラマ『光る君へ』では、陰陽師・安倍晴明が考えたとしていますが、可能性としては、出家だけに、尋禅とか、厳久といった僧侶の可能性の方が高いのではないでしょうか。
①花山天皇が退位&出家する。→夜にこっそりと行う。
②懐仁親王が即位する。→出家の前に「三種の神器」を懐仁親王に譲る。
「寛和の変」とは、単なる「花山天皇の出家」で、藤原道兼が出家の手助けをしたのだと思うのですが、その手助けを善意ではなく、懐仁親王を即位させるための「変(クーデター)」であり、実行犯を藤原道兼だとすると、支持者(黒幕)や共犯者もいたかと思われます。
──支持者(黒幕)や共犯者は誰か?
■真相に迫る8説の検証
考えられるのは、
①藤原道兼の単独犯
②藤原道兼と藤原兼家の共謀
③藤原兼家一家の陰謀
④藤原詮子の陰謀
⑤円融天皇
⑥尋禅
⑦源信と厳久
⑧安倍晴明
です。
①藤原道兼の単独犯
ことがことだけにありえない。
②藤原道兼と藤原兼家の共謀
通説
③藤原兼家一家の陰謀
『光る君へ』の実行犯
④藤原詮子の陰謀
⑤円融天皇
⑥尋禅
「寛和の変」後、延暦寺の世俗化
⑦源信と厳久
出家をすすめた(『愚管抄』)。
⑧安倍晴明
『光る君へ』の参謀
【結論】反花山天皇の総意で、花山天皇を失脚させた。
【総括】若い天皇主導による若手政治家への政権交代が失敗した。
【結果】一条天皇が即位し、外祖父・藤原兼家が権力を握った。
■『日本紀略』
■『本朝通鑑』
■『大鏡』
■『栄華物語』
■『愚管抄』
■『安倍晴明物語』