仙千代と於フウ(処刑された人質)
ある方が、
「武田氏への人質は宗主・奥平貞能が出すべきで、長男・奥平貞昌(後の信昌)は立場的に出さなくてもよい。だから、妻・於フウを人質に出し、その後、於フウが処刑されたというのは伝説であろう」
と言っておられましたが、前半はその通りです。でも、後半は違うかも。
武田勝頼が使者・初鹿野伝右衛門を通して要求してきたのは、亀山城主・奥平貞能の妻・於アワ(於粟)だったそうです。ところが、於アワは病気で寝込んでいたので、仙千代(奥平貞能の次男)と於フウ(奥平貞友の娘にして長篠城主・奥平貞昌(信昌)の妻。於安とも)が人質に出されたとのことです。
於アワ
├──┬九八郎貞昌【長篠奥平】
奥平貞昌┬貞勝─貞能 └仙千代
└貞直┬彦九郎
└貞友───於フウ【日近奥平】
なお、於アワなのか、別人なのか分かりませんが(「菅沼貞景の妻」の間違いでしょうけど)、奥平貞能の妻は、今川氏の人質として吉田城にいて、奥平氏が徳川氏に寝返った時、今川氏真によって磔刑に処されています(柴田顕正『岡崎市史別巻 徳川家康と其周囲』「十三本塚」)。
また、仙千代は、「武士らしく切腹した」となっていますが、これは奥平氏への忖度であり、伝承では鋸挽きの刑だったそうです。
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