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『三河国設楽郡矢部村勅養寺縁起』
『三河国設楽郡矢部村勅養寺縁起』 は原本がなく(まだ見つかっておらず?)、成立年は不明である。
写本が2冊ある。
・『三河国設楽郡矢部村勅養寺縁起』 (門谷の平沢氏蔵本)
・『鳳来寺聞書』の写本「月本」の付録(大原氏蔵本)
平沢氏蔵本は、安永6年(1777年)6月、門谷村の平沢定宣(65歳)が勅養寺から縁起書を借りて写したもので、大原氏蔵本の『鳳来寺聞書』(原本不明。最も古い写本は1706年)の写本の付録は、平沢氏蔵本の写しだという。(『鳳来寺聞書』の1706年の写本には付録がついていない。)
タイトルは「勅養寺縁起」ですが、実際は「利修仙人伝」ですね。内容は鳳来寺縁起や砥鹿神社縁起同様「文武天皇が病気になったので勅使が派遣された」ですが、細部は異なります。
たとえば、砥鹿神社縁起では、勅使は本宮山へ行き、山の神が童子を道案内に付けてくれたので、鬼を追い払ってもらって勝岳仙人に会えたとしていますが、勅養寺縁起では、勅使は、本宮山ではなく、中福寺で休んだとし、童子も鬼も出てきません。
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