太田白雪『反古探し』
太田白雪『鳳来寺聞書』(1706年)の改訂版ですね。
序
公、鳳来寺の由緒書を愚にもとむ。男幸近きころより旧記をすけり。得手に帆をあげ、福ら舟に出くる反古のうらうらをもとめ、そこはかとなく硯の海、筆のみなれさをしつくの出次第、前後重書、又、落ちたる処もありぬべし。それは重而問ひたまへ。返答申さん。され共、他見御用捨有るべし。これに3ッのもたしがたき事あり。第一御当家を記すおそれ、次は愚家の秘事を往々あらはす。世の人口にとどまる事、身をきらるるよりおし。残り1ッは過言、人しかるべし。穴賢。
山号 烟巌山
本堂より西に当り、利修仙人、護摩を修せし故、常に煙立つ故、此の名あり。岩窟なり。近年、此の所に名像の仙人をあがむ霊地なり。是へ参るには、門谷町入口より左へ行10余町、下向には黒瀬郷渋谷金王丸の宮へ出て道筋よし。
寺号 鳳来寺
院号
利修仙人の事
千寿峯
万寿坂
六本椙
巫女石
高座石
尼行道
尼谷
瑠璃山
馬背
牛ヵ鼻
隠し水
牛岩
妙法ヶ滝
明星山
五郎ヶ塚
児樹松
椿地蔵
行者帰
鳳来寺仏閣草創
是より愚聞書
○水戸黄門様御書物はしに書し説
文武天皇、東夷攻めさせ玉はんとて、三州豊河の郷に皇居3年。此間に竹内王子御出産。いくほどなく崩御。此の時、三明寺に御祈願の事あり。鳳来寺へも公宣卿、此豊川より勅使にまいられたるなるべし。正しきしょうこは一宮の神主・草鹿砥中務は、公宣卿の末流也と云へり。文武天皇、三河国の由緒なくては、此利すまず。竹内王子の御陵(みささぎ)、下条村正楽院にあり。同12人の后の身を投げし池、同石塔12あり。
○鳳来寺と云ふ額、光明皇后の御筆
愚案、おそれがましき事ながら、是は相違と思へり。尤も光明皇后の御事、鳳来寺由緒書にあれ共信用できず。此の事は後に記す故、略す。
堂社仏閣
○東照宮
○鎮守一宇
○奥院
○仙人堂
○天神社
○護摩堂
○八幡社
○弁才天社
○牛王堂
○阿弥陀堂
○鏡堂
○三重塔
○シュショ明神社
ビシャモン堂
シュロウ
元三大師堂
弘法大師堂
○天台方学頭
松高院隠居寺
鳳来寺由緒書の内、光明皇后の御事
仙人、万寿坂の辺にて小便
雑由緒 愚聞書
祭祀
○ビンサヽラ踊 鬼踊
○此山詠歌
霧や海山のすがたは島に似て 浪かときけば松風の音勅使公宣公の歌也と云ひ伝ふ。
此の歌は、摂州有馬の薬師縁起にもあり。其の外にも有る由聞く。信用せず。
○俗説に、武田信玄公、押して薬師の尊像を開き、拝み玉ふにより、忽ち目くるめき、是より病気付きて根羽村にて死去と世伝へて云へり。
雑説鳳来寺の事を記す
御当家御由緒