「猪鼻坂」の調査報告
※タイトルを「調査報告」としましたが、まだ詳細な調査はしていません。
※サポート希望です。
※この高額な記事を多くの方に購入していただいて、調査費用とします。
「猪鼻坂」については、
猪鼻坂①:地元住民が「猪鼻坂」と呼んでいる坂
猪鼻坂②:高師山と愛宕山の間の坂(紀行文の描写とピッタリの坂)
猪鼻坂③:地元住民が「カチ坂」と呼んでいる坂(明応以後の新しい坂)
の3説があります。
1.東海道53次・新居宿から白須賀宿へ
・東海道53次・新居宿から白須賀宿へ:江戸(東)から京都(西)へ
・橋本宿:鎌倉街道の宿場。浜名川の右岸。旧・猪鼻駅。
・源太山:採土のために切り崩された。跡地には小学校が移設された。
・八幡台:高師山の北斜面に作られた新興住宅地。
新居町民のソウルフードの1つに「平太郎の鯛焼き」がある。
平太郎の前の石碑は「棒鼻跡」碑である。
ここが新居宿の西端になる。
平太郎の横の細道は、「津波避難経路」である。津波警報が出たら、一気に愛宕山を駆け上る。愛宕山の山頂には、愛宕大権現の社殿、展望台、歌碑などがある。見晴らしが良い。
上の写真は、天神社の鳥居付近から見た高師山で、鉄塔が立っているのが頂上(標高58m)である。中世の旅人は、高師山から景色を眺めたというが、現在は木が生えて周囲の風景は見えない。
上の写真は、愛宕山と高師山の間の「猪鼻坂②」である。中世の紀行文を読むと、
高師山で景色を眺る。→猪鼻坂を下る。→下った先の橋本宿に泊まる。
という行程が想像され、この坂が「猪鼻坂」であれば、想像と一致するという。
この坂は短い坂で、すぐに下ることになる。下り始めてすぐに八幡宮と内山公民館がある。
高師山の頂上の鉄塔には3本の古道がある。
1本は北(八幡台)へ下る道。(現在は竹藪になって消失。)
1本は切り堀を経て、西のカチ坂へ向かう尾根の道。
1本は南(紅葉寺)へ下る道。
東の「猪鼻坂②」へ下る道は無い。
2.カチ坂
旧東海道(浜名街道)を通って白須賀宿へ。
その途中に、右に上り坂がある。猪鼻坂③「カチ坂」である。
「カチ」は「徒歩」とも、「歩行」とも書く。要するに、「歩いて登る坂」である。東海道も江戸から歩いてきたのに、改めて「歩いて」と言われても「何それ?」である。
「カチ坂」と呼ばれる理由には諸説あるが、どれもピンとこない。私の説を書いておく。
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