───「仲秋の名月」の夜に、月読命について考えよう。
①概論(「三貴子」の1柱だが影薄い)
②月読命=須佐之男命説(穀物起源譚。共に海の神)
③月読命=卑弥呼の弟説
④壱岐国で考える。(『日本書紀』では任那)
⑤丹波国で考える。(浦島太郎は月読神の子孫)
⑥四国で考える。(『四国古事記』)
三貴子(みはしらのうずのみこ、さんきし)とは、黄泉国から帰ってきた伊邪那岐命(イザナキノミコト)が「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊を行なった時、最後に、生んだ3柱の尊い神々を指します(『古事記』)。
最初に左眼から生まれた天照大御神には高天原の統治を、次に右眼から生まれた月読命には夜の統治を、次に鼻から生まれた建速須佐之男命には海原の統治を任せました。
それぞれを祀る主な神社は、
・天照大御神:伊勢神宮(内宮)
・月読命 :月讀神社(壱岐市)→月読神社(京都市)
伊勢神宮(内宮)別宮・月讀宮
伊勢神宮(外宮)別宮・月夜見宮
・須佐之男命:「出雲國一之宮」熊野大社(島根県松江市)
牛頭天王として「西の八坂、東の津島」
になります。
※月読神社(京都市)は月讀神社(壱岐市)から勧請。
※津島神社によれば、須佐之男命は「対馬から来られた神」とのことです。
1.月讀神社(壱岐市)から月読神社(京都市)へ(『日本書紀』)
【現代語訳】 487年2月1日。阿閉臣事代(アヘノオミコトシロ)は命を受けて、日本を出て、任那(朝鮮半島南端)に使者として行きました。すると月神(ツキノカミ)が人間に神掛かって言いました。
「私の祖先の高皇産霊は最初に天地が溶けあったものを作った功績があります。民地を我が月神に奉りなさい。もし、この請うままに私に献上するならば、幸福と慶びがあるだろう」
阿閉臣事代は帰京すると詳細に奏上した。それで歌荒樔田(うたあらすだ)を月神へと奉りました。(歌荒樔田は山城国葛野郡にあります。)壱岐県主(いきのあがたぬし)の先祖の押見宿禰(オシミノスクネ)が祭祀しました。
※歌荒樔田:山城国葛野郡宇太村。ここに祭ったのが山城国葛野郡葛野坐月読神社、現在の京都市西京区松室山添町の月読神社。
2.月讀神社(壱岐市)由緒
3.解説記事&動画
◎月読命=弓月君説
◎月読命=「月の一族」の神説