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「仲秋の名月」の夜に(月読命4/6)


───「仲秋の名月」の夜に、月読命について考えよう。

①概論(「三貴子」の1柱だが影薄い)
②月読命=須佐之男命説(穀物起源譚。共に海の神)
③月読命=卑弥呼の弟説
④壱岐国で考える。(『日本書紀』では任那)
⑤丹波国で考える。(浦島太郎は月読神の子孫)
⑥四国で考える。(『四国古事記』)


 三貴子(みはしらのうずのみこ、さんきし)とは、黄泉国から帰ってきた伊邪那岐命(イザナキノミコト)が「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊を行なった時、最後に、生んだ3柱の尊い神々を指します(『古事記』)。

 最初に左眼から生まれた天照大御神には高天原の統治を、次に右眼から生まれた月読命には夜の統治を、次に鼻から生まれた建速須佐之男命には海原の統治を任せました。

 それぞれを祀る主な神社は、
・天照大御神:伊勢神宮(内宮)
・月読命  :月讀神社(壱岐市)→月読神社(京都市)
       伊勢神宮(内宮)別宮・月讀宮
       伊勢神宮(外宮)別宮・月夜見宮
・須佐之男命:「出雲國一之宮」熊野大社(島根県松江市)
       牛頭天王として「西の八坂、東の津島」
になります。

※月読神社(京都市)は月讀神社(壱岐市)から勧請。
※津島神社によれば、須佐之男命は「対馬から来られた神」とのことです。


1.月讀神社(壱岐市)から月読神社(京都市)へ(『日本書紀』)

三年春二月丁巳朔。阿閉臣事代銜命。出使于任那。於是月神著人謂之曰。「我祖高皇産霊有預鎔造天地之功。宜以民地、奉我月神。若依請献我。当福慶」。
 事代由是還京具奏。奉以歌荒樔田。〈歌荒樔田。在山背国葛野郡。〉壱伎県主先祖押見宿禰侍祠。

『日本書紀』顕宗天皇3年(丁卯487)2月丁巳朔》

【現代語訳】 487年2月1日。阿閉臣事代(アヘノオミコトシロ)は命を受けて、日本を出て、任那(朝鮮半島南端)に使者として行きました。すると月神(ツキノカミ)が人間に神掛かって言いました。
「私の祖先の高皇産霊は最初に天地が溶けあったものを作った功績があります。民地を我が月神に奉りなさい。もし、この請うままに私に献上するならば、幸福と慶びがあるだろう」
 阿閉臣事代は帰京すると詳細に奏上した。それで歌荒樔田(うたあらすだ)を月神へと奉りました。(歌荒樔田は山城国葛野郡にあります。)壱岐県主(いきのあがたぬし)の先祖の押見宿禰(オシミノスクネ)が祭祀しました。

※歌荒樔田:山城国葛野郡宇太村。ここに祭ったのが山城国葛野郡葛野坐月読神社、現在の京都市西京区松室山添町の月読神社。

2.月讀神社(壱岐市)由緒

 顕宗天皇3年(487年)阿閉臣事代という官吏が天皇の命を受けて朝鮮半島の任那に使いにでる。
 その際、人に月の神が神がかりし、「土地を月の神に奉納せよ、そうすればよい事があろう」という託宣があった。それを朝廷に奏したところ、これを受けた朝廷は壱岐の県主の押見宿禰に命じて壱岐の月讀神社から分霊させ京都に祀らせた。
 舒明天皇二年壱岐の公乙等を筑紫の伊都に遣わし神石を求め、一つを京都の月讀神社に納める。この石はその昔、神功皇后が月神の教えによりお産を延ばされたことで「月延べ石」と名づけられた。その石は今伊都の鎮懐石八幡宮と壱岐の月讀神社にあると言われている。文武天皇大宝元年初めて行幸あり、神石をご覧になられ、壱岐古麻呂に命じて弊帛を奉納し神税を古麻呂に支払う。
 宝亀33年、暴風雨で木や家が倒れた。これを占うと月読神の祟りであった。そこで忌部正美が奏じ、神島の大中臣清麻呂を山城・壱岐・伊勢にある月讀神社に遣わして神の怒りを鎮めた。
 國分郷古木村清月の社在り、延宝4年(1692年)6月朔日建立拝殿の内に石の御殿あり、拝殿は西北西向きで茅葺梁行2間、桁行2間半である。
 境内は東西25間余り、南北31間余り、周囲1町17間余り、山中参道16間。祀管榊原主藤原正益、定祭9月23日云々。式内大社の例により、神階を進められる。
 霊元天皇延宝4年6月朔日、松浦肥前守従伍位下源朝臣鎮保、石祀及び木鏡を寄進。(木鏡の銘)には「奉ル備24座ノ内月讀神社御正體木鏡1面」とあり。
 壱岐の月讀神社はもともとは壱岐の豪族の壱岐氏が、航海の安全を祈るためにお祀りしていたとされます。
 その後、487年、大和時代に阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が遣任那使として、任那の国に使いで行った際に、壱岐の月読神が「私は月神である。私を京都にまつりなさい。その通りにすれば日本国中が幸せになるだろう。」と言いました。
 阿閉臣事代は都に帰り、天皇にそのことを報告しました。
 天皇はこれを受け入れ、壱岐県主の先祖 押見宿彌(おしみのすくね)を壱岐島から京都に呼び、嵐山に壱岐の月神を分霊して、月讀神社を祀りました。この嵐山の月讀神社は京都では最も古く「松尾大社」の南隣にあります。
 その後、京都の月讀神社を中心にして、日本全国に神道が根付くようになりました。したがって、壱岐の月讀神社が全国の月讀社の「元宮」(もとみや)となるわけです。
 このことから、当社は「神道の発祥の地」とされています。

ご由緒 – 月讀神社 (tsukiyomijinja.com)

3.解説記事&動画

◎月読命=弓月君説

◎月読命=「月の一族」の神説



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