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司馬遼太郎『覇王の家』を読む⑧

 家康というのは、幼時、下ぶくれで目が大きく、童としては狂躁なところがまったくなかった。婦人がみれば憐れをそそるほどに可愛い少童だったであろう。
                     ──司馬遼太郎『覇王の家』

※狂躁:狂騒。狂ったような騒がしさ。人質であったので、普通の子供のようにはしゃぐことはなかったという。また、性格は、忍耐強く、人間観察能力に優れていたという。

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【徳川家康の身体的特徴】

身長:159.0cm(当時の男性の平均身長は157cm)
体重:70kg
体形:肩幅が広く、ずんぐりむっくりの肥満体(糖尿病?)
:丸顔。大きな目、耳たぶが大きな福耳。
手相:強運で大成功を収めると言われる「ますかけ線」

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身長
:159.0cm(等身大に作られた大樹寺の位牌の高さから判明)
体形:肥満体だったというが、人質時代は痩せていたと思われる。今川家の人質として駿府人質屋敷(静岡県静岡市葵区宮ケ崎町)に住んでいた竹千代(後の徳川家康)の元服式が今川義元が烏帽子親となって静岡浅間神社で行われたが、この時に身に纏った静岡県指定文化財「紅糸威腹巻(くれないいとおどしはらまき)」を見た時の感想は、
 ──小さい・・・。
背が低く、痩せていないと纏えないと思った。
:目は祖父・松平清康に似て黒目が大きかったという。
手相:徳川家康には影武者がいたというが、竹千代の手形が二村山法蔵寺(愛知県岡崎市本宿町寺山)に残されているので、比べれば本人かどうか分かる。


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