『今昔物語』巻24第33話「公任大納言読屏風和歌語」他
【屏風歌の現代語訳】この藤の花が紫の雲かとも見えるほど美しく咲き誇っているのは。この家のどのような吉兆なのであろうか。(『新編 日本古典文学全集』「今昔物語」(小学館))
藤の花で埋もれる家・・・『鬼滅の刃』かよ。
『拾遺和歌集』(巻第十六)「雑 春」
左大臣むすめの中宮のれうにてうし侍りける屏風に
右衛門督公任
紫の雲とそ見ゆる藤の花いかなるやとのしるしなるらん
読人しらす
むらさきの色しこけれはふちの花松のみとりもうつろひにけり
『千載和歌集』(巻第十六)「雑歌 上」
上東門院入内の時、御屏風に、松あるいゑに笛吹き遊びしたる人ある所をよみ侍りける 大納言斉信
笛竹の夜ふかき声ぞ聞こゆなる峰の松風吹きやそふらん
『前大納言公任卿集』
中宮の内にまゐり給ふ御屏風歌人の家近く松、梅の花などあり。みすの前に笛ふく人あり。
梅の花にほふあたりの笛の音は吹く風よりもうらめしきかな
宰相中将いれり。ただのぶ。
笛竹のよぶかき声ぞ聞こゆなる峯の松風吹きやそふらん
中宮の内にまゐり給ふ御屏風に、かの海づらなる人の家の門に人きたり。人出でてあひたり。
昔見し人もやあるとたづねては世にふる事をいはんとぞ思ふ
わが門にたちよる人は浦近み波こそ道の知るべなりけれ
おきなの鶴かひたる処
雛鶴をすだてし程に老にけり雲井の程を思ひこそやれ
花山院の御いれり
ひな鶴をやしなひたてて松原の陰にすませむ事をしぞ思ふ
山づらにけぶりたつ家あり。野に雉どもあり。道行く人たちとどまりて見たり。
煙たち雉子しばなく山里のたづぬる妹が家ゐなりせば
人の家に花の木どもあり。女、硯にむかひてゐたり 。8
行く人につげややらましわが宿の花は今こそさかりなりけれ
人の家に松にかかれる藤を見る。
紫の雲とぞみゆる藤の花いかなるやどのしるしなるらむ
『続古今和歌集』(20)「賀」
上東門院入内御屏風に 花山院御歌
ふく風の枝もならさぬこのごろは花もしづかににほふなるべし
>紫の雲とそ見ゆる藤の花いかなるやとのしるしなるらん
「紫の雲」は后の異称ですから、「藤原彰子が入内して藤原家は増々栄える」という寿ぎ(言祝ぎ)歌ですね。
思い出されるのは、
①『新古今和歌集』(巻第2)「春歌下」
藤の松にかかれるをよめる 紀貫之
緑なる松にかかれる藤なれどおのがころとぞ花は咲きける
【現代語訳】いつも緑である松にかかっている藤であるが、自分の花の咲くころだと、花は咲いたことだ。(『新編 日本古典文学全集』「新古今和歌集」(小学館))
②熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区)の世襲大宮司家・尾張家が衰退した時、熱田大神が現れて、
桜花ちりなむ後のかたみには松にかかれる藤をたのまん
(尾張家が衰退したので、この先は尾張家の松御前(源頼朝の曾祖母)の嫁ぎ先の藤原氏(野田城(愛知県新城市)城主・藤原氏千秋家)に頼もう。)
と詠み、大宮司家が尾張氏から藤原氏に交代したことです。
愛知県では桜が散るのが4月上旬、藤が咲くのが4月下旬ですかね。
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