土蜘蛛・田油津媛(タブラツヒメ)
【意訳】 200年3月25日。一転して(方向転換して)山門県(やまとのあがた。筑後国山門郡、現在の福岡県柳川市~みやま市)に至り、そこで神夏磯姫の末裔の土蜘蛛・田油津媛(タブラツヒメ)を誅殺した。その時、田油津媛の兄・夏羽が、香春(かわら。「高良」の転訛?)神社がある本拠地・田川(福岡県田川郡香春町)で援軍を組織して迎え討ちに来た。しかし、妹が誅殺されたことを聞いて逃げた。
土蜘蛛は、近世以後は、巨大な人面蜘蛛や妖怪「牛鬼」のような姿であると広くみなされるようになったが、古代では、ヤマト王権に恭順しなかった土豪たちを指した。
水野祐は、各国風土記の「土蜘蛛」は、九州の海岸一帯に生活の基盤を持っていた海人集団、つまり漁撈民集団だったが、ある時期に大和へ伝播して潤色され、異族視されたとする(「土蜘蛛に関する解釈の変遷」)が、私のイメージの土蜘蛛は、山の民の女首長であり、次の津田左右吉や瀧音能之の考えに賛同している。
津田左右吉は、各国風土記の「土蜘蛛」は、「熊襲」や「蝦夷」と異なり、集団名として扱われるのではなく、個人名として登場するという特徴があると指摘している。
さらに、瀧音能之は、『肥前国風土記』の佐嘉郡の土蜘蛛が荒ぶる神を鎮めた例など、九州地方の土蜘蛛に巫や農耕的呪術の特徴が見られることから、土蜘蛛は、シャーマニズムを権力の背景とした地域の首長だったと推論している(瀧音能之、松枝到(編)「土蜘蛛の原義について」『象徴図像研究:動物と象徴』 言叢社 2006)。
そもそも天皇は、日向三代のことを考えれば、南九州の海人族出身であり、神功皇后にしても海神・住吉三神に助けられているので、基本的には海の民は天皇家に従順であり、土蜘蛛との対決は、山の民(土蜘蛛) vs 海の民(天皇)の争いであって、山幸彦 vs 海幸彦戦の延長戦のように思う。
さて、神功皇后が討ったという土蜘蛛の田油津媛の巨大な前方後円墳「女王塚」の現地案内板には、次のように書かれている。
>昔は雨が降るとこの古墳から血が流れでると言われていましたが、これは石棺内の朱が流れてていたと思われます。
ということは、田油津媛はシャーマンだったのであろう。
「田油津媛」という名は、味方である九州の豪族たちをたぶらかして大和政権に従順した(だから前方後円墳)ので付けられた名前で、本名は不明だが、景行天皇の九州遠征に登場する「神夏磯姫(かんなつそひめ)」の末裔だという。名前に「神」が付く人物の子孫だということは、田油津媛も凄い女王だったのであろう。
※本名については、兄が「夏羽」、祖母(?)が「神夏磯姫」であるので、「夏」を含むと思われる。
◎神功皇后をたぶらかした田油津媛。元ネタは「鶏鳴狗盗」か?
この武内宿禰が鶏の鳴きまねをしたとする伝承では、田油津媛は神功皇后をたぶらかして、嘘の休戦協定を申し出たことになっている。前方後円墳「女王塚」に眠る人物には田油津媛説と葛築目説があるが、田油津媛が反大和政権だとすると、前方後円墳「女王塚」は、田油津媛の墓ではなく、景行天皇に帰順し、大和政権の威を借りて近隣の敵対勢力(土豪)を倒したしたたかな女性・神夏磯姫の墓であろう。とすると、大和の箸墓古墳以前の前方後円墳になる。