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未発表記事 西遠井伊氏系図は入口不明の迷路

■西遠井伊氏「彦根系図」(彦根市教育委員会作成系図)

井伊①共保─②共家─③共直─④惟直─⑤道直─⑥盛直─⑦良直─⑧弥直─⑨泰直─⑩行直─⑪景直─⑫道政─⑬高顕─⑭時直─⑮顕直─⑯諄直─⑰成直─⑱忠直─⑲直氏─⑳直平┬㉑直宗─㉒直盛
         └直満─㉓直親─㉔直政┬直勝【与板井伊氏】
                    └直孝【彦根井伊氏】

■西遠井伊氏「祖山系図」(『井伊家伝記』の著者による江戸時代の系図)

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天御中主尊─天児屋根命─大織冠鎌足…藤原利世─共良─良春─良宗─共資─井伊①共保─②共家─③共直─④惟直─⑤盛直─⑥良直─⑦弥直─⑧泰直─⑨行直─⑩景直─⑪忠直─⑫直氏─⑬直平─⑭直宗─⑮直盛─⑯直親─⑰直政

・共良:少納言三国氏祖
・良春:三国正五位蔵人頭
・良宗:三国氏従五位筑前守

※共良、良春、良宗の付記を見ると、西遠井伊氏=三国氏とお考えのようだ。
※道直と道政~成直(13&14世紀)の7人を欠く。道政~成直の6人については「南朝方なので意図的に削除した」説(6人は実在)と中絶説(6人は不在、もしくは宗主代行(上野氏など有力庶子家の宗主)で実在)がある。

■『黙宗和尚時代古過去帳』の南渓和尚の覚書

寂明…懐翁┬誠友
       ├誠秀
       └寿岳

・寂明の付記に「保内初祖也。当山門前跡之従井中湧出。其以来、中絶。只今筋は、従九条殿相続と申伝候云」(井伊共保(法名:自浄院殿行輝寂明大居士):井伊保内、西遠井伊氏の始祖である。当山(龍潭寺)門前跡の井戸の中から湧き出た。その後、西遠井伊氏は中絶した。今の血筋は、九条家から養嫡子を迎えて継がせたと言い伝えられている)とあり、中絶説の根拠となっている。

■三国氏系図

継体天皇…朱大王┬麻呂
          └友足─石丸─田庭─稲吉─月麻呂─福丸─望足─有行─
村雄┬千桂┬共資─共保─共宗─宗綱─共章┬共政┬政保┬政盛
  ├景隆└共茂                   │  └女子├政俊         
  └千隆                     │       └政直
                   └共家─共直─惟直─盛直

・共政:遠江目代。従五位下。新大夫。住遠江国伊那佐郡村櫛下在。
・政保:井伊大夫。寂明。住遠州。
・女子:遠江権介藤原周時

※井伊家初代「自浄院殿行輝寂明大居士」を藤原共資の子・井伊共保ではなく、三国共政の子・政保だとする。

■宝賀寿男(日本家系図学会&家系研究協議会会長)作成系図
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/iishik1.htm

維遠─維頼┬横地太郎頼兼   【横地・勝間田氏】
       └維弘┬周時─兼政…道直…直政【井伊氏】
            └相良太郎周頼─長頼  【相良氏】

■三宅氏系図

天日槍…田道間守…三宅兼麿(奈良)─
好用(井伊郷)─秀季(井端谷荘司)─共睦─井端谷篤茂┬勝健
                            └女子
                                                                                                 ├共保
                          共資

※井伊初代共保(1010-1093)は、延喜年間(901-923)に奈良から遠江国引佐(伊那佐)郡に移住した三宅好用(家紋は橘)のひ孫・井端谷篤茂の娘と共資の子だとする。

※「未発表記事「遠江井伊氏」」
https://note.com/sz2020/n/n92335e0baef9

■松葉氏系図

藤原鎌足─不比等─房前─真楯─内麻呂─冬嗣─良門─利世─共良─良春─良宗─共資─共保┬共宗─宗綱─共章─共家─惟共─松葉宗益─
       └井伊共家─共直─惟直─赤佐盛直【西遠井伊氏】
松葉遠江次郎資宗┬松葉朝宗(源実朝の烏帽子親)【松葉氏】
        └惟泰(出羽国平鹿郡へ)─平賀惟長【平賀氏】

※井伊氏は、赤佐盛直以降(鎌倉時代)、本拠地を井伊谷から赤佐(浜松平野北端)に変え、南北朝時代に井伊谷に戻った(宗主は九州へ戦いに行き、上野氏など有力庶子家の宗主が宗主代行として井伊谷に入った)と思われる。赤佐には、超巨大遺跡「中屋遺跡」があり、誰の屋敷か不明の巨大屋敷跡がある。中遠・貫名郷(袋井市上貫名~下貫名)の貫名氏や、東遠・嶺田郷(掛川市嶺田)の東遠井伊氏を併合した西遠井伊氏の屋敷だという。
https://www.sankeibiz.jp/econome/news/170709/ecc1707091040002-n1.htm
http://okamoto1.net/iseki.nakaya.html
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/16110
※『松葉博雄の社長研究室』
https://mazba.com/matsuba/

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 「西遠井伊氏系図」の始祖・井伊共保から井伊直政までは、彦根市教育委員会が徹底的に調査して作成したので、新出資料の発見までは、変更されないであろう。問題は、
①入口(井伊共保)の正体。井伊氏は藤原氏か?
②中絶はあったか?
である。
 井伊共保は、藤原共資の子とも、孫(娘の子)ともいわれる。孫であれば、娘婿が藤原氏でなければ、藤原氏と呼べないが、そもそも共資が藤原氏なのかどうか不明である。
 中絶説支持者は、京都から藤原氏を呼んで井伊家を再興したので、共資が藤原氏でなくても、再興以降の彦根井伊氏(井伊直政以下)などは藤原氏と言って良いとする。

※東遠井伊氏「【覚書】城飼郡(後の城東郡)の式内社」
https://note.com/sz2020/n/na141b0cf4d9d?from=notice

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