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吉原の遊女(花魁)・瀬川の一句「あげられて 苦しき日あり 紙鳶のぼり」


お正月といえば「凧(たこ)揚げ」
本来は「紙鳶(いか)のぼり」でしたが、あまりの人気に「危険だ」として禁止令が出たのですが、
イカ(烏賊)がダメならタコ(蛸)で
という洒落で、「凧揚げ」として続けられたそうです。

 昨日の『べらぼう』で、日本初の「黄表紙」である『金々先生栄華夢』が「今風の青本(青年向けの本)」として描かれましたが、当時は「大人向けの赤本(子供向けの本)」として扱われたようです。

太田南畝『絵草子評判記』

思へば〳〵むかしにて、二十余年の栄華の夢きん〳〵先生といへる通人いでゝ、鎌倉中の草双紙、これがために一変して、どうやら、こうやら草双紙といかのぼりはおとなのものとなつたるも、おかし見やうみまねに近頃は、汝が家のさうしまで、上書を紅摺にして、久しいなじみをかゑしたり。

【意訳】思い起こせば、昔、鎌倉時代(江戸時代)に『金々先生栄華夢』という本が出版されて、鎌倉(江戸)の本が、この本のために、どうやら「草双子(子供の読む赤本)」と「(子供が遊ぶ)いかのぼり」は大人のもの(本と遊び)となり、近頃は草双子といえば、黄表紙になってしまった。

 また、昨日の『べらぼう』で描かれたのは、安永4年(1775年)7月です。
・五代目瀬川の襲名
・小泉忠五郎の『新正吉原細見』と蔦屋重三郎の『吉原細見籬乃花』の刊行
により、混雑した吉原の様子が描かれましたが、そもそも、7月の吉原は、
・「吉原の三景物」の1つの「玉菊燈籠
が行われているで、混雑しています。(「玉菊燈籠」については次回で扱われるようです。)

 多くのお客が押し寄せると、大門前の耕書堂は『吉原細見 籬乃花』が売れて喜ぶでしょうが、遊女は物ではなく、体を売るので、お客が多いときついです。中には強蔵(絶倫男)や、キスマークや傷をつける乱暴者もいる。(生理の日はどうしたんだろう?)

https://dl.ndl.go.jp/pid/875456/1/70
https://dl.ndl.go.jp/pid/875456/1/71

〇江戶吉原松葉屋の瀨川は、和歌を詠じ、又俳諧をよくす、遊客三文字屋何がしより紙鳶(たこ)をおくり越したる返事の末に、
  あげられて苦しき日あり紙鳶(いか)のぼり。
     題知れず
  入相にひとのいさみや今日の月。

 四代目瀬川の句でしょうか?

   あげられて 苦しき日あり 紙鳶のぼり

 遊客・三文字屋何とかが「紙鳶(たこ)」を送ってきたのを、「今日はのぼれるか?」と尋ねてきたのだと察した瀬川は、「お座敷にあげられるのは喜ばしい事でありんすが、(肉体的にも、精神的にも)苦しくてのぼりたくない日もありんす」とお誘いを俳句で柔らかに断ったという。

※「紙鳶のぼり」は春の季語で、「紙鳶が昇る/揚がる」と「お座敷に登る/上がる」を掛ける。

 昨年の『光る君へ』の平安時代なら和歌で返すところを、江戸時代は俳句なのか。時代は変わった。そして、さらに変わって行く。(今はLINEを教え合ってのやりとり?)

※検索したら、同じ内容の記事を私の14時間15分前に書いた記事がヒットした。その記事には、「スキ」が15時現在、88個も付いてた。(88個目は私が付けました。)

いいなぁ。羨ましいよ。
さて、私の記事には14時間15分後(明日の4時半)にいくつ付くスキが付いているだろう?

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