徳川家康の側室・西郷局
1.通説
徳川家康の三男・秀忠の母を於愛(「於相」とも表記。初名は「丁子」)の方という。倉真(くらみ)川沿いの静岡県掛川市上西郷の生まれで、東三河西郷氏の西郷清員の養女となって、西郷局(さいごうのつぼね)と名乗った。
徳川家康の長男・信康は自害し、次男・秀康は豊臣秀吉の養子となったので、三男・秀忠が徳川家康の跡を継いで、第2代将軍となった。於愛の方は、この将軍・秀忠の母である。
西郷を流れる倉真川を水石を探しながら遡ると、の温泉で有名な倉真である。そんなことから、極度の近眼であった於愛の方を徳川家康は、「昧見姫(くらみひめ)」と呼んで可愛がっていたという。
★「倉真(くらみ)」「逆川」の語源
《東三河西郷氏》
徳川①家康
戸塚忠春 ‖─徳川②秀忠
‖─丁子(於愛子、於相子、西郷局)
西郷信員(正守)─種員(正勝)─於さい(於さだ)
‖
服部正尚(蓑笠之助)
於愛(西郷局)の母・於さいは、西郷(静岡県掛川市上西郷)に住む夫・戸塚忠春を亡くし、服部正尚(蓑笠之助)と再婚し、於愛(西郷局)と共に西郷(一説に掛塚の鋸店)に住んでいた。そして、於愛(西郷局)は、伯父(母の兄)・西郷清員の養女となって、徳川家康と再婚(前夫は討死した西郷義勝)し、徳川2代将軍秀忠を生んだ。
「西郷局」の「西郷」は、「東三河西郷氏の出身」の意とも、「掛川市西郷地区出身」の意ともいう。
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