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イザナミの墓所

 天地開闢において神世七代の最後に生まれた男神・イザナギと女神・イザナミは夫婦となり、オノゴロ島に降臨し、まずは「国産み」、次に「神産み」をしたのであるが、イザナミは、火のカグツチ(神軻遇突智、迦具土神)を産んだ時、火傷を負って亡くなった。怒ったイザナギは、カグツチを殺した。

 イザナミの死んだ場所=カグツチが生まれ、殺された場所=オノゴロ島

 イザナミの墓は、淡路島付近のオノゴロ島にあるかと思いきや、
・雲伯国境(出雲国と伯耆国の境)の比婆山(『古事記』)
・紀伊国熊野の有馬村(『日本書紀』の一書)
とある。

───なぜそんなに遠くまで遺骸を運んだのか?
───なぜ『古事記』と『日本書紀』で墓所が異なるのか?

■雲伯国境のイザナミの墓所

説①:比婆山(『古事記』)
説②:神納山(宮内省「陵墓参考地」)
説③:母塚山
説④:御墓山(内務省「伊弉冉尊御陵流伝地」)

 私は、イザナミの墓は三重県熊野市有馬の花窟神社(『日本書紀』の一書)で、マザコンのスサノオは熊野大神になったと考えている。
 「火のカグツチ」の「火」は、照明、調理など用途が広いが、カグツチは製鉄の神で、日本刀など鉄製品を作る最良の砂鉄の産地である雲伯国境地帯に祀られたことから、カグツチの死亡場所&墓所=イザナミの死亡場所&墓所が雲伯国境地帯であると考えられるようになった(『古事記』)と思う。

 イザナギは黄泉国のイザナミに会いに行くが、結局は黄泉比良坂(よもつひらさか)で、「千曳の岩」(1000人曳きの巨岩)で道を塞ぎ、事戸を渡した(離縁した)。この時、イザナミは、
「愛しい人よ、こんなひどいことをするなら私は1日に1000の人間を殺すでしょう」
と叫んだが、イザナギは
「愛しい人よ、それなら私は産屋を建てて1日に1500の子どもを産ませよう」
と返した。立会人は菊理姫命である。
 この後、イザナミは黄泉国の主宰神となり、「黄泉津大神」「道敷大神」と呼ばれるようになった。

※死体を扱う穢多や非人の間に広まった白山信仰の信仰対象である白山比咩命には、イザナミ説と菊理姫命説があり、全国の白山神社では、菊理姫命とイザナギ、イザナミの3柱を祀っている。(仏教の教えは輪廻転生であって、死んではいないので、墓は必要ない。寺が葬式を扱い、墓を築くようになったのは、白山信仰、死体を扱う穢多や非人と結びいて金儲けしようと考えたことによる。特に積極的だったのが曹洞宗で、道元は「白山比咩命に助けられた」として、寺の守護社を白山神社とした。)

 黄泉国から戻ったイザナギは、「汚れた」として、海水で身を清めるのであるが、日本海で清めればいいものを、穢れを身に纏ったまま宮崎県まで行って清めている。

 日本神話の不可解なことは、「長距離移動」である。
 「天照大神は、出雲国(島根県)に住む日本の国王・大国主命に日本国を譲ってもらうが、孫を日向国(宮崎県)に降ろす。そして三代過ごしてから大和国(奈良県)に移って初代天皇・神武天皇が誕生する」というのが日本神話だ。「大国主命が奈良県にいて、天照大神が息子を奈良県に降ろし、その息子が神武天皇と名乗った」とすればいいのに、なぜそうしなかったのか? なぜ日本国(西日本)の境界を移動するのか? 墓等を使って結界をはろうとしたのか?

            日本海
      ┏━━━━━━━━━━━━━┓
      ┃    北端:出雲国   ┃
  熊襲の国┃西端:日向国╋東端:大和国┃東夷の国(日高見国)
      ┃    南端:紀伊国熊野 ┃
      ┗━━━━━━━━━━━━━┛
            太平洋

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