「浦島太郎伝説」が丹後の海部氏の伝承であれば、「同じ系図を持つ同族(丹波系氏族)の尾張氏も「浦島太郎伝説」を持つのでは?」と検索したところ、ヒットしました。
<武豊町>
①「浦島太郎」と言う名の由来:浦之嶋に生まれ育った漁師の太郎
②負亀の松:「富貴」という地名の由来。四海波の宮城。
③乙姫橋:竜宮城の入り口
④竜宮が浜の竜宮神社
⑤知里付神社の「あけずの箱」(玉手箱) :中身は雨乞いの面
⑥浦島神社(知里付神社境内)
⑦真楽寺:浦島太郎が助けた亀の墓
⑧地名「塔の下」の由来:浦島太郎が亀に乗った場所が見える丘の塔
⑨うめきの浜:浦島太郎が白髪の老人となった浜(現・梅ノ木)
⑩弘法大師お手植えの負亀の松。竹、梅ではなくカキツバタ
<美浜町>
①翁塚
②浦島観音
◎「浦島太郎伝説は、北は北海道の湧別町から南は沖縄、与那原町まで日本全国四十件余りの地に伝説として残り」とあるが、伝承の数え方には、「知多半島」で1件と数えるか、「武豊町」と「美浜町」で2件と数えるか、「武豊町」9件と「美浜町」2件で11件とする数え方があり、数え方によっては全国に150件以上の伝承があるという(浦島太郎を祀るのは海部氏だけではない!)。
◎「北は北海道の湧別町から」とあるが、湧別町の「竜宮街道」は、文人・大町桂月が、この地の砂州を「まるで龍宮へ続く道のようだ」と形容したことからこの街道名がつけられただけで、浦島太郎伝説は無いという。(「浦島太郎伝説」の北端は青森県だと思われる。)
◎「洞庭湖の竜女」と言っているのは、多分、日本人だけで、中国では「洞庭山仙女」という。「その文面が日本に伝わる浦島太郎伝説そっくり」とあるが、そっくりではない。ただ、日本語訳では、洞庭山→洞庭湖、仙女→竜女、金堂→竜宮城等々変更され、そっくりな話になっている。
「洞庭」とは「巨大な洞窟」という意味で、ある人が君山に薬石を探しに行って洞窟に入って迷う話であるが、日本語訳では、ある男が薬草を採りに行く・・・という話に変えられている。
300年後に帰ってきて9代孫に自分の話を聞いたというのは、浦島太郎が9代孫の淳和天皇妃と会った話に対応している。
◎「五、知里付神社」は、愛知県知多郡武豊町東大高池田にある神社で、三河国二之宮の式内・知立神社(愛知県知立市西町神田)とは異なる。(同じ社号なのに、ご祭神が異なる。)
「あけずの箱」(玉手箱) の中身が雨乞いの面という話は、空海が雨乞いの祈祷において、玉手箱を開けると紫色の雲が湧き出て雨が降ったという話を思い出させますね。
◎「富貴(ふき)」という地名は、「負亀」(おぶがめ)の音読みの「フキ」が転化したものだというが、これは1つ説に過ぎず、『尾張名所図会』には「農商のここ(注:富貴城の城下)に依る者多くは富貴せりとて、その頃(注:戸田氏が富貴城を建てた頃)より、かく村名を呼びならはせりとぞ」とある。
知多半島の伝承地は、「尾張氏関連地」というよりは、「伊勢神宮関連地」のような気がします。
浦島太郎と伊勢神宮の関連については、水野祐氏の著書を参照のこと。
『古代社会と浦島伝説(下)第2部 伊勢神宮の創祀と古代漁撈文化』
1975年4月10日初版発行(雄山閣出版)
第1章 丹波系氏族と浦嶼子伝説
第2章 日本古代漁撈文化の概要
第3章 日本における海女文化の展開
第4章 伊勢神宮の祭祀と浦嶼子伝説
第5章 結論