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津島神社の弥五郎どん
「弥五郎どん(やごろうどん)」「弥五郎殿」とは、九州南部に伝わる伝説の巨人です。弥五郎どんの正体には、
①養老4年(720年)の「隼人の乱」で殺された隼人の首領(放生会)
②八幡神第一の伴神・高良玉垂命(応神天皇に仕えた武内宿祢)
の2説があり、どちらも宇佐神宮(八幡宮)関連です。
※高良玉垂命の謎
https://note.com/sz2020/n/naea9eea377d4
ではなぜ、津島神社に「弥五郎殿社」があるかといえば、社家・堀田弥五郎光泰が建てたからで、この南朝遺臣・堀田弥五郎光泰は、武内宿祢の子孫だという。既にあった式内・国玉神社(御祭神:大巳貴命(大国主命))に始祖・武内宿祢を合祀したという説もある。神紋が同じ尾張国一宮・大神神社(愛知県一宮市花池。祭神:大物主命)の分社に合祀したという説もある。
私には、堀田弥五郎の創建時の祭神が堀田弥五郎光泰であったのを、大橋氏が弥五郎だけに武内宿祢に変え、津島藤浪里の地主神・弥種継命を、より格上の日本の神・大国主命に替えたように見えるのだが・・・。
■偽書『浪合記』
津島天王社の祭神・牛頭天王は、武塔天神ともいう。明治の神仏分離令で社名を津島神社とし、素盞烏尊を祀っている。
最初に祀ったのは、居守社(居森社)、次に柏森の柏樹社、そして南北朝時代の弘和元年(1381年)、今の場所に大橋定省が建てた。
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