『尾張国風土記』「玉置山」と星宮社
『尾張国風土記』に「玉置山」が登場する。
赤星が落ちた山だという。
「赤星という名の神が来た」ということの言い換えであろうか。
そして、その神は、名古屋市中川区の赤星神社の神だろうか?
赤星神社の御祭神は根裂尊(ねさくのみこと)、単独である。
普通は、磐裂神&根裂神のセットで祀られる。
神名からは、柳生石舟斉や竈門炭治郎が巨岩を真っ二つに斬った、
いや、それ以上──大地を切り裂く大地震の凄まじさ、
隕石が大地に落ちたインパクトの凄まじさを感じるが、
磐裂神&根裂神は、伊邪那岐尊が、秋葉神・火之迦具土神を斬った時、
剣の先についた血が岩について化生した神々である。
「山麓に星池あり。星の常の宿所なり」
赤星神は、山麓のクレーターに水が溜まって出来た池に居て、
拝殿前の鈴を鳴らすと、本殿の御神体「怪石」に宿るようである。
■『尾張国風土記』「玉置山」(逸文:『萬葉緯』巻17)
玉置山 出鹿狐。在神。號道主命。亦有一小石。昔人云赤星之所落也。山麓有星池。星之常宿所也。亦有恠石。星之所化石也。今猶且星落焉。
■『尾張国風土記』「玉置山」(逸文:木内石亭『雲根志』「星化石」)
星化石 49
『四国記』を見るに、阿波国勝浦郡に「星谷」といふ所に、星の窟(いはや)あり。方の間岩の上に星、落ちて石となるを窟の内に置き、此の故に「星石山」と名づく。
又、『尾張風土記』に、「尾張国玉置山(たまおきやま)に一石あり。赤星の落つる処の梺(ふもと)に星池といふあり。星、常に此の池に宿ると。怪石一ツあり。星の化せし石也と。今猶時々、星、此の山に落つる」といへり。
「玉置山」がどこにあるか分からないが、
「星池」跡とされる「本城公園」へ行って、
「星崎」を見る。
左の山に星宮社、右の小学校は星崎城跡、奥に神輿山(秋葉社)がある。
星宮社は小学校の場所にあったが、星﨑城を築く時に現在地に遷された。
星宮社(名古屋市南区本星崎町宮西)。
舒明天皇の637年、隕石が落ちたので創建したという。
創建は『風土記』編纂の官命(和銅6年(713年))以前の話である。
花井氏の居城・星崎城(名古屋市南区本星崎町本城)。
平将門調伏の神輿山登山口(名古屋市南区本星崎町寺坂)。
山頂に秋葉社(「訶愚突知(かぐつち)社」とも)がある。
境内社:金毘羅社、神明社、稲荷社、秋葉社、霊社、伊奈突智老翁社。
絵図には「イナツチヲキナノ社」とあるが、祠は2つ描かれている。現在は、右を上知我麻社(式内・上知我麻神社の元宮)、左を下知我麻社(式内・下知我麻神社の元宮)とする。御祭神は、上知我麻社が大国主命と乎止与命(尾張氏)、下知我麻社が伊奈突智老翁命(当地に製塩技術を伝えた人物)と真敷刀俾命(乎止与命の后神)と変な組み合わせである。ちなみに、熱田神宮の境内社の上知我麻神社の御祭神は乎止與命、下知我麻神社の御祭神は真敷刀俾命である。
按ずるに「知我麻」は「千竈」(1000の塩釜)であるから、本来の御祭神は伊奈突智老翁(いなつちのおきな)であろう。上下2社あるのは、千竈郷は南北に長いので、上下に分けられ、それぞれで祀られたためであろう。伊奈突智老翁は記紀に登場しないので、普通は記紀に登場する塩竈明神こと塩土老翁(しおつちのおじ)に置き換えると思うのだが、ここでは尾張国造・乎止与命(尾張氏)に置き換えられたようだ。
■『尾張名所図会』「星大明神社」
星﨑庄本地村にあり。天津甕星神を祭れり。或は香香背男神といへるも同神なるべし。承平年中、平将門誅戮御祈のために、熱田の神輿を此の地に振り出し奉りしに、忽ち七里、光をたれ、池中に輝きしかば、其の池を七面池と号し、御手洗池とせしよしいひ伝へたり。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764884/53
■『尾張志』「星宮社」
本地村にあり。天津甕星神を祭るよし、府志に見ゆ。社説に「舒明天皇9年、七星、天降りけるに、神託ありて、往古千竈の郷なる此の処に初めて社を建て、斎奉れり」といへり。こはあやしげに聞ゆる説なれども、此の舒明天皇の9年にかけていへるは伝へ混へたるならむとおもはるる故あり。下にいふべし。
まづ、星を祭る事は、上古の御代には、決してなかりつれど、漢風をよろづに交へ用ひらるる御代となるてより以来は、北辰の祭などいふ事も、やや古くよりいできて、妙見などいふ神号さへものに見ゆる様になれれば、舒明天皇の大御代頃にこそあらざらめ。やや古き年頃より祭初めたる星社なるべし。
又、此の星社あるによりておこれる星崎の地名ならむには、星崎とよめる歌の堀河天皇初度の百首に見えたるにても、其の時代は大概おしはからるる也。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764866/9
『尾張国風土記』の「玉置山」には、次のようにある。
玉置山 鹿、狐、出づ。神在り。道主命と号す。また、1つの小石有り。昔人云ふ。「赤星の落つる所也」と。山麓に星池有り。星の常に宿る所也。また、怪石有り。星の化せしところの石也。今猶且つ、星、落つる。
今回、「玉置山」と思われる星崎へ行ってみたが、共通点は「隕石」で、相違点は御祭神である。道主命は祀られていなかった。「星崎」を『尾張国風土記』風に紹介すれば、
星崎 鹿、狐、出づ。神在り。伊奈突智老翁と号す。また、1つの小石有り。昔人云ふ。「赤星の落つる所也」と。山麓に星池有り。星の常に宿る所也。また、怪石有り。星の化せしところの石也。この怪石を神体として天津甕星を祀り、星宮と号す。
といったところか。
★「星崎の里めぐり」
https://www.city.nagoya.jp/minami/category/137-2-2-0-0-0-0-0-0-0.html
★南野隕石
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000135055
★『名古屋神社ガイド』「石神社」
https://jinja.nagoya/top/minamiku/isi-jinja