天の戸は静かに明けて神路山 杉の青葉に日影さすみゆ
友が昼食「関東風ちらし寿司」とお菓子と日本酒を恵んでくれた。
ありがたい。
お菓子は、「雛あられ」かと思ったが、金平糖だった。
「糖分を摂取すれば、頭がさえて、いい記事が書ける」
とのこと。
日本酒は、大谷選手の結婚報道を聞いて、
「やけ酒を飲め。そして、忘れろ」
ということかと思ったら、勾玉マークの秋田の浅舞酒造の「天の戸(あまのと)」であり、
「これを飲めば、古代史の謎の扉が開くかも」
とのこと。
浅舞酒造によれば、
とのことである。
私は、
天の戸は静かに明けて神路山 杉の青葉に日影さすみゆ
という古歌を知らない。(家に『国歌大観』がないし、外出禁止で図書館へ行けないので調べられない。)
「しずか」を「のどか」に変えただけなので、「本歌取り」と呼べるか微妙な(こんなこと書いたら、昔なら不敬罪で即逮捕だな)貞明皇后神祇御歌の
天の戸はのどかにあけて神路山 杉の青葉に日影さす見ゆ
なら知っている。
酒名「天の戸」の命名は大正6年。
貞明皇后(大正天皇の皇后・九条節子様(藤原氏))の御詠と、どちらが早いのだろう?
御成婚は明治33年(1900年)5月10日で、貞明皇后は、同年5月23日から6月7日にかけて(今度、愛子様が御就職の御奉告に行かれるように)伊勢神宮と神武天皇陵へ御成婚の御奉告に行かれた。
その後の伊勢神宮参拝といえば、「神武天皇二千五百年山稜式年祭」に合わせての大正5年(1916年)4月1日である。その時の御詠歌は新聞に載ったかもしれない。そして、その翌年に「天の戸」の命名がなされた。)
さて、歌意であるが、「天の戸」は「明く」の枕詞的に用いられる言葉で、日本神話の「天の岩戸」のことではなく、「夜と昼の間の戸」のことで、「夜」という意味である。
「日影」は「日陰」ではなく、「月影」(月の光)、「星影」(星の光)同様、「日の光」である。
神路山は、日本神話「天の岩戸神話」の天照大神を祀る伊勢神宮(内宮)の杣山(そまやま)である。
以上の事から歌意は「(天照大神が天の岩戸から出てこられた時のように)夜が静かに明けて神路山の杉の青葉に朝日が刺すのが見える」である。
「宿の外に出て日の出を待っていたら、日が昇ってきた。日本と日本国民が平和であるようにと祈り、宿に戻ろうと振り返ったら、神路山に朝日が当たっていて神々しかった」という感じであろうか。
このように、天皇陛下と皇后陛下が日本と日本国民のために毎日お祈りして下さっているのが実にありがたい。
※2024年の立春は、2月4日でした。立春を詠んだ藤原俊成の歌に、
天の戸の明くる気色ものどかにて雲居よりこそ春は立ちけれ、
天の戸の明くる気色もしずかにて雲居よりこそ春は立ちけれ
があります。「長閑」でも「静か」でも同義なのでいいようです。
さて、神路山(別称:天照山(あまてるやま))は、伊勢神宮の建築資材(檜)を育てる杣山であり、杣人が伐って筏を組み、杣川(五十鈴川)を使って伊勢神宮まで運び、新正殿等を建てて式年遷宮となります。つまり、神路山にあるのは、杉ではなく、檜のはずです。
ところが、実際に神路山へ行った西行は、
深く入りて神路のおくを尋ぬれば また上もなき峰の松風
と詠んでいます。
そして、西行大好きな松尾芭蕉は、「峰の松風」を受けて、
みそか月なし千とせの杉の抱くあらし
と「杉の抱く嵐」を詠んでいます。
私は神路山へは行ったことがないので、生えているのが檜なのか、杉なのか、松なのかを知りません。
天の戸は静かに明けて神路山 杉の青葉に日影さすみゆ
私の知らないこの古歌(古代歌謡?)が「天の戸」という酒名に採用されたポイントは、檜でも、松でもなく、杉だからでしょう。
「杉玉」を吊るす風習は、松尾大社ではなく、「三本杉」をご神紋としている大神神社から始まったという。
いずれにせよ、杉は、酒と深い縁がありそうですね。「酒樽」は(奈良の吉野杉とかの)杉で作りますからね。
「天の戸」を飲んで日本古代史の謎が解ければよいが、そんな力は私にはない。それに私の研究方針は「現地で考える」であり、まずは神路山へ行かねば。
物いはば神路の山の神杉に過ぎし神代のことぞ問はまし(本居宣長)
まぁ、本居宣長じゃないけれど、行ったところで神杉が教えてくれなければ、古代史の解明は無理なんだけどね。
金平糖を食べて考えてみよう。
「天の戸」は濃厚。氷を浮かべた方がよさそうだ。