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【神社雑記】秋葉信仰の聖地へ(1)秋葉信仰
浜松は出世城なり初松魚 (松島十湖)
コロナ禍の前、中国では徳川家康生誕地・岡崎城(愛知県岡崎市康生町)から松平氏発祥地・松平郷(愛知県豊田市松平町)へ到る道を「黄金街道」と呼び、「大金持ちになれる」として中国人観光客が押し寄せていたと言うが、「出世できる」という点では、浜松城(静岡県浜松市中区元城町)も負けてはいない。浜松城の別名を「出世城」と言い、ゆるキャラ「出世大名家康くん」は、全国ゆるキャラブランプリで優勝している。
浜松城は、歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に就いたことから「出世城」と呼ばれるのであるが、そもそも岡崎城、浜松城、駿府城は徳川家康が居た城であるから、城主に選ばれるのは、出世街道まっしぐらのエリートであり、出世するのは当然のことだと思っていたら、風水研究者に、
「では、なぜ岡崎城や駿府城が出世城と呼ばれないのか?」
「浜松は風水的に勝れた街だ」
と反論された。「岡崎城や駿府城が出世城と呼ばれない」理由としては、「浜松城が出世城と呼ばれた理由は、歴代城主が出世したからではなく、徳川家康が浜松在城時代に出世したからである」と反論できるが、確かに、浜松はYAMAHA、KAWAI、HONDA等の世界的企業の発祥の地であるし、最近で言うと『おんな城主 直虎』『いだてん』『どうする家康』と、北条大河のような目立つロビー活動をしていないにも関わらず、大河ドラマの舞台になっている。
──この風水的に勝れた浜松の鬼門封じが秋葉山である。
浜松の鬼門(北東)に位置する「火の山」秋葉山(静岡県浜松市天竜区春野町領家。秋葉信仰)は、「水の山」光明山(静岡県浜松市天竜区山東。摩利支天信仰)と対をなす「北遠三霊山」の1つ(もう1つは、春埜山(静岡県浜松市天竜区春野町花島。お犬様(山犬=狼)信仰))で、江戸時代(徳川綱吉の時代)に爆発的に流行した秋葉信仰の発祥地である。(一宮制の制定時、小國神社(静岡県周智郡森町一宮)が遠江国一宮に選ばれたが、遠州秋葉山「秋葉山本宮秋葉神社」は、全国の秋葉神社の総本社であり、東京の地名「秋葉原」の語源でもあり、現在は遠江国一宮・小國神社よりも知名度が高い。)
江戸時代、秋葉山には、
・大登山秋葉寺(だいとうざんしゅうようじ。御本尊は行基作聖観音像)
・秋葉山権現社(秋葉寺の守護社。式内・小国神社の比定社。秋葉三尺坊)
があった。秋葉山(秋葉寺)は春埜山(大光寺)とも対をなし、「(行基が)春開きし山を春埜山、秋開きし山を秋葉山と称す」と伝えられている。
秋葉山権現社は式内・小国神社の比定社で、御祭神は大己貴命(もう1つの式内・小国神社の比定社である遠江国一宮・小國神社の御祭神も大己貴命)であったが、合祀していた「秋葉三尺坊」が「秋葉権現」として大流行すると、大己貴命は本殿から追い出されて、境内社・小国社となった。
明治時代、神仏分離や廃仏毀釈やらで、「大登山秋葉寺は廃寺、秋葉山権現社は廃社」と決定されたが、「秋葉山権現社」は、秋葉山の古代からの土着神である火之迦具土大神を祀る「秋葉神社」と改名して廃社を逃れ、さらに、昭和27年(1592年)、全国の秋葉神社(神社本庁傘下の秋葉神社は約400社であるが、小祠も入れれば1万社はあると推定される)の総本宮であることから「秋葉山本宮秋葉神社」と改名した。
秋葉山の本来の神が大己貴命ではなく、火之迦具土大神だとしても、秋葉神社の火之迦具土大神は、内実は京都の愛宕神社からの御分霊であり、現在の「秋葉山本宮秋葉神社」は「秋葉神社の本宮」ではなく「愛宕神社の分社」であると言ってる方もおられる。いずれにせよ、秋葉信仰の秋葉権現は秋葉三尺坊であって、大己貴命でも、火之迦具土大神でもない。
■秋葉寺公式サイト「秋葉寺と秋葉神社の区別」
現在秋葉山の頂上付近にある秋葉神社は、明治6年の神仏分離令の混乱期に乗じてつくられたもので、当山の火防の霊験とは無関係の宗教施設であることは明らかである。その祭神はその時京都愛宕山より勧請した迦具土神であり、千有余年来つづいて来た当寺の秋葉三尺坊大権現ではない。この厳然たる歴史的事実や様々な物的証拠からして、当寺が明治6年まで秋葉山全体を支配していたことは明らかで、識者の認めるところである。
※「秋葉寺」公式サイト
※「秋葉山本宮秋葉神社」公式サイト
※「遠江国一宮・小國神社」公式サイト
さて、江戸時代に大流行した「秋葉権現」こと「秋葉三尺坊」はどうなったかといえば、秋葉寺(天正年間に可睡斎の末寺として再興)の本寺である可睡斎の「秋葉総本殿」に移されたというので、行ってみた。
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可睡斎の「秋葉総本殿」の案内板によると、明治6年(1873年)、廃仏毀釈により、秋葉寺から遷されたという。
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で、こちらが「秋葉総本殿」。
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鳥居はないが、狛犬はいる。ふてくさっていたので、頭をなでであげた。(指だけ写っているが、心霊写真ではない。)
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仁王樣はおられないが、天狗樣はおられる。
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ちなみに、こちらが仁王門の仁王様。
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