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日本の人魚

 人魚は世界中にいます。
 上半身が人で、下半身が魚。
 個人的には外国の金髪のマーメイド、セイレーンが好きです。
 日本の黒髪の人魚は海女さんに見えてしまいますので。
 というか、人魚って女性のみ?
 男性はいないの?

 顔が魚で、脚があれば「半魚人」。

日本動物学会誌


瓦版「人魚図」(かわら ばん にん ぎょ の ず)
https://enpaku.w.waseda.jp/collection/3170/

 「人魚図」         一名海雷
越中国放生渕四方浦と申す所にて、猟舩をなやまし、さまたげ候ゆへ、鉄砲
四百五十挺に而うちとめる。
 頭 三尺五寸
 丈 三丈五尺
 髪の毛、長さ壱丈八尺
 両腹に目三つ宛有
 角、丸く二本金色也
 下腹、朱の如く赤き也
 鰭(ひひ)に唐草の如き筋有
 尾は鯉のごとし
  なく声は壱里もひゞき候
此魚を一度見る人は、寿命長久し、悪事、災難をのがれ、一生仕合、よく福徳幸(ふくとくさいわい)を得るとなり。
  文化二丑五月

 注目すべきは「両腹に目三つ宛有」である。これは、天災の前兆(凶兆)を告げる「予言獣」(神社姫(姫魚)、海出人)の特徴であるが、人魚(人面魚? サンショウウオ? リュウグウノツカイ? アマビエ? ジュゴン? スナメリ?)の場合は、幸福の前兆(瑞兆)のようだ。

 以上、文化2年(1805年)5月の瓦版であるが、新しい捕獲記事としては、『普通新聞』(1985年11月6日)がある。板野郡里浦(現・徳島県鳴門市)の近海で目撃されていた人魚が、徳永の沖合で捕獲されたとある。同海域では海坊主も目撃されているが、海坊主も人魚もスナメリだという。

鳴門海峡の人魚
 1734年に地元で出版された書物や江戸時代のその他の記録によると、鳴門海峡には人魚が時々来訪したとされています。その他の古今東西に伝わる人魚の目撃例と同様、おそらくは魅了された目撃者がジュゴン (海牛という名前でも知られ、今日ではもはやこの地域で見られることのない絶滅危惧種) の上半身を人間のような頭と胴体に見間違えたのでしょう。もう一つの可能性はこれらの「人魚」が実際にはスナメリだったというものです。スナメリは最大で体長2.3メートル、重さ70kg超まで成長する水生哺乳類です。

001555547.pdf

https://日本都市伝説.com/?p=424

 さて、現在、日本では15体の「人魚ミイラ」(人魚干物、剥製)が確認されている。(世界各国の博物館の人魚ミイラは日本で購入した物とも、中国で購入した物とも。たとえば、オランダのライデン国立民族学博物館が所蔵する人魚のミイラは、1810~1830年の間に長崎の出島のオランダ商館員が日本から持ち帰った物だという。人魚ミイラの制作は幕末で、専門の剥製職人により、複数の生物を組み合わせて超精巧に作られている。これにたいし、中国製は、冊の上半身と魚の下半身(?)を接合した単純な構造である。)

 民俗学的に言えば、

━━此魚を一度見る人は、寿命長久し、悪事、災難をのがれ、一生仕合、よく福徳幸を得る。

 つまり、見たい人が多かったので、仏の姿を仏像としたように、人魚の姿を寺社が依頼して職人に作らせたのではないかという。(江戸末期の見世物小屋の展示物を、見世物小屋がつぶれた時に寺社に奉納した物だともいう。)実際、人魚ミイラを見ると、厄除け、長命、無病息災、安産などさまざまな功徳があるとされている。

 また、福井県小浜市の高橋長者の娘が人魚の肉を食べたところ、不老不死「八百比丘尼」(「白比丘尼」「玉椿姫」とも)になったという。

  たのみなば命のほどやながからん いまわの雫尽きぬ限りに


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