大樹寺
成道山松安院大樹寺(愛知県岡崎市鴨田町広元5-1)の創建については、諸説あって、不明である。
松平宗家は岩津松平家であり、敵が攻めてくると岩津城から出陣し、井田野で戦った。その井田野合戦の戦死者を埋めた「千人塚」に亡霊が出たので、鎮魂のため、近くに西光寺が建てられたという。
井田野合戦は何度も行われ、合戦の度に岩津松平家の家勢は衰えていった。そして台頭してきたのが、後に徳川家康を輩出して松平宗家となる安祥松平家で、酒井氏は安祥松平家に付くことにし、転居した。その屋敷と菩提寺跡に「岩津松平家菩提寺」として建てたのが大樹寺で、西光寺の住職が住職を務めたという。(一説に、酒井左衛門尉家の屋敷と菩提寺は井田城下にあったという。)
得川有親┬松平①親氏┬酒井広親┬氏忠【酒井左衛門尉家】※
├松平②泰親│ ├親清【六所神社世襲宮司酒井家】
└松平信広 │ └家忠【酒井雅楽頭家】
└松平③信光┬親長【岩津松平家】
└④親忠【安祥松平家】…⑨元康(家康)
※酒井①広親-②氏忠-③忠勝-④康忠-⑤忠親-⑥忠善-⑦忠次
大樹寺の塔頭・回向院(愛知県岡崎市鴨田町広元10-1)には、「三河六代」と称される酒井左衛門尉家6代(①広親~⑥忠善)の墓がある。(「徳川四天王」酒井⑦忠次の墓は、京都の知恩院にある。)
酒井忠善の墓石は亀が背負っており、碑文が彫られている。
松平家の始祖・親氏(清和源氏)が得川氏なのか、世良田氏なのかは不明である。松平元康は、得川氏だと考えて「徳川」と名乗ったのであろうが、彼の祖父である安祥松平家第4代宗主・松平清康は、「世良田次郎三郎清康」と名乗っている。大樹寺多宝塔の身柱銘に、
──奉為逆修万疋奉加大檀那世良田次郎三郎清康安城四代岡崎殿
とある。
※①親忠【安祥松平家】─②長忠─③信忠─④清康─⑤広忠─⑥元康(家康)
江戸時代に入って、大樹寺は、三河松平家の菩提寺となった。