原文&現代語訳『本朝通鑑』にみる「寛和の変」
※書きかけです。500PV、100スキ以上になったら続けます。
1.原文
六月(戊戌朔) 庚申〔廿三〕夜、天皇密授剣璽於太子。曰。朕今有故、逃位出世。汝宜懋(つとめて)守天位、勉哉欽哉、百官未肯知之独兼家父子知之。初兼家聞兼道薨。振臂謂左右曰。我聞関白之職。遂次補之、兼通既逝、是我乗国柄之秋也。既而頼忠為関白。兼家失望。使人潜説円融帝曰、帝何背聖善之言。而揚頼忠、抑兼家乎。帝慰諭之曰。頼忠者、藤家之冑。関白之任固当。是以、朕従兼道之所請而姑及此耳。非敢抑兼家也。嗚呼、慈母之約。不可変焉。他日頼忠辞職。則宜以兼家代之兼家聞之翹待歴年。会永観二年禅譲之事起。兼家称喜曰、帝譲位。則頼忠辞職者必矣。及天皇即位。頼忠関白如故。兼家太失望。快快不悦。是時、藤義懐(よしちか)、藤惟成(これしげ)有近侍之好。義懐者、天皇舅也。惟成頗有文才。太蒙眷遇荐歴顕要。二人参謨国政。功労許多。天皇称其多能。世人指義懐以為有大臣之量、義懐威望漸高兼家弥不悦沉吟謂天皇之於義懐名雖君臣。実為舅姪。其遇待之厚。豊可与余同年而語乎由是観之。頼忠辞関白之日、義懐代之乎。(後略)
https://dl.ndl.go.jp/pid/945846/1/69
2.現代語訳
6月23日庚申の夜、花山天皇は密かに剣璽(「三種の神器」の剣と勾玉)を皇太子に授けて言うには「朕は、今、理由が有って、退位し、出家する。汝は宜しく天位を守ることに努めよ、勉哉(べんさい。頑張れや)、欽哉(きんさい。つつしめや)、百官(諸侯)は未だ肯(あ)えてこれを知らず、独り兼家父子のみがこのこと(退位して出家すること)を知っている。(後略)
いいなと思ったら応援しよう!
記事は日本史関連記事や闘病日記。掲示板は写真中心のメンバーシップを設置しています。家族になって支えて欲しいな。