── 一年の計は元旦にあり。
新年の計画は、元旦(元日の朝)に立てよ。
転じて、何事も、まず最初に計画を立てることが大事であるという意味。
だが、「新年のことを元旦に考える」では遅すぎる。
──鬼に笑われようと、来年のことは、大掃除までに考える。
大掃除で本棚を整理する。
鎌倉幕府の本を処分して、かわりに並べるのは、
技術史の本?
徳川家康の本?
それとも、写真論の本?
──「大掃除」って、いつ始める?
12月8日の「正月事始」からでいいけど、12月8日は、田の神様を送ったり、お事汁を作ったりと、忙しい。(地方によっては、12月13日が「正月事始」であり、正月用の「松迎え」や「節木伐り」をしたり、正月用の餅つきをしたりする。)
江戸時代の寛永17年(1640年)、千代田のお城(江戸城)では、12月13日に「煤払い」を行うように決められた。そのため、大名屋敷や旗本邸なども12月13日に「煤払い」をするようになり、庶民も倣い、江戸城下の「煤払い」は12月13日となった。(朝廷や公家は、陰陽師に吉日を占ってもらって行った。)このため、今でも、大掃除は、12月13日から始めて28日までに終わらせるのが良いとされる。
この12月13日を「煤取り節供」「煤の年取り」「十三日節供」などといい、神棚や天井(囲炉裏(いろり)や竈の上)の煤を、竹竿の先に藁(もしくは笹)をくくりつけた「煤払い」を使って、(煤と同時に穢れも)払い、終了後は、(地方によっては、各家の門に立て置いたのを子供達が集めて)村境の雪の上や肥料の上に立てて歳神様の依代とし、小正月の「どんど焼き」で焚き上げる。
以上、江戸時代の大掃除は「煤払い」であったが、今の家庭には囲炉裏も竈もないので、煤はない。
煤掃きが終わると、ご祝儀として、全員を順に胴上げした。女性は、諸事情で胴上げされたくないので、柱にしがみついたり、赤ちゃんを抱いたりして胴上げから逃げまくったという。
胴上げ後、「煤餅」「蕎麦」「鯨汁」がふるまわれ、煤を落としに銭湯へ。夜にはご祝儀酒がふるまわれ、早めの解散。男性は夜の街へとくりだした。
何方へ 行て遊ばむ すすはらひ 挙白
──来年の目標は「一日一記事」。
私のような貧乏人は、サポートを求めてせっせと記事を書く。サポートを得て、裕福になれば、有料会員になれる。有料会員になれば、未来日記を書けるようになるので、暇な日に数日分書いてアップしておけば、「毎日投稿」なんて目標は楽にクリアできるんだけどな。(裕福な人がうらやましいぜ。)
と言いつつ、なんだかんだで、今日で100日連続投稿達成!
誰か、ほめて(笑)。
そう言えば、まだ来年の手帳を買ってなかった。(貧乏人は辛いぜ。)