『光る君へ』(第6回)「二人の才女」は超難解でした。詳しい方、解説お願いしますm(?_?)m (1/2)
<ドラマの流れ(多分、こうだったと思う)>
①藤原道隆が、藤原義懐に取り込まれていく「若い公家たちの気持ちを知りたい」と言った。
②妻・高階貴子が「詩会を開けばよい。選んだ詩で気持ちが分かる」と言ったので、そうすることにした。
※詩会=漢詩の鑑賞会。ドラマでは分かりやすく「漢詩の会」とした。
③当日のお題は「酒」で、
・藤原行成は白楽天の「獨酌憶微之」を
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140309/1/58
・藤原斉信は白楽天の「花下自勧酒」を
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140309/1/45
・藤原道長は白楽天の「禁中九日 対菊花酒憶元九」を選び、
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140309/1/50
・藤原公任は自分の2つの詩を組み合わせた。
「夏日、同賦未飽風月思」
https://dl.ndl.go.jp/pid/1879738/1/149
「冬日、於飛香舍。聽第を多子始讀御注孝經。應教詩」https://dl.ndl.go.jp/pid/1879738/1/148
④藤原道隆は、唯一政治を詠んだ藤原公任の詩に興味を示し、「唐の太宗の治世になぞらえて今の帝の世の揺るがぬ様をうたわれるとは」と讃え、まひろに意見を聞いた。
⑤まひろは、「白楽天のようなうたいぶりでございました」と藤原公任の漢詩を高く評価するが、ききょうは「むしろ、白楽天の無二の親友だった元微之のような闊達なうたいぶりでした」と口をはさんだ。
⑥帰り道。ききょうは、まひろに「まひろ様はお疲れなのかしら。私、斉信様がお選びになった歌が好きだったわ」と言った。
⑦若い公家たちは「やっぱ藤原義懐様より藤原道隆様だな」と言った。
<馬鹿なりに頑張って考えた解釈>
①藤原道隆が「若者の気持ちを知りたい」と言った。
②妻・高階貴子は「詩会を開けばよい。選んだ詩で気持ちが分かる」と言った。これは今で言えば、「(特にお酒が入った時は)カラオケで歌う歌で(選曲で、好きな歌で)今の気持ちや人柄が分かる」ということでしょう。
③当日のお題は「酒」という異例の広範囲のもので、
・藤原行成は白楽天の「獨酌憶微之」→親友を思う。
・藤原斉信は白楽天の「花下自勧酒」→早く出世しないと人生終わる。
・藤原道長は白楽天の「禁中九日 対菊花酒憶元九」→親友を思う。
・藤原公任は自分の2つの詩を組み合わせて政治を詠んだ。
④藤原道隆は、藤原公任が唯一、政治に触れたことに関心を示して讃え、まひろに意見を聞いた。常識的には、講師の藤原為時や、歌人の清原元輔に意見を聞くべきですが、若い人の意見を聞きたかったのでしょう。
⑤藤原道長のラブコールの歌に、気が動転していたまひろは、無難に「他の3人が選んだ白楽天の詩に劣らない」と言っておいたが、ききょうは「全然ダメというか、これは詩とは呼べないルール違反の単なる文字列だ」(自作の作文会の場合は韻字が指定される)と思いつつも、藤原公任を傷つけたり、推す主催者・藤原道隆が不機嫌にならないよう、「定型詩としてはダメだが、自由詩として考えればいいので、自由闊達な元微之の詩に近い」と言いとどめた。
【余談】 いつの時代もヲタは嫌われる。倫子サロンでは「本を読むのが苦手」と言われた。気が合いそうなききょうに会うが、この時のまひろは藤原道長のことで頭がいっぱいで、同好の友を得る貴重なチャンスを失った。
さて、『源氏物語』が大評判になった時、倫子サロンの人たちは「本を読むのが苦手」と言っていられるだろうか?
藤原公任の詩のどこが悪いかと言えば、自分が詠んだ2つの漢詩をくっつけたので、「七言絶句」と呼べるための必須条件である「押韻」が無いのです。「自由闊達」と言っておいたが、押韻が無い場合、「詩」とは認められません。そんなことは当然、藤原公任も知っていて、これは「詩を読んだ」のではなく、藤原道長が、まひろに自分の気持ちをアピールしたように、「詩会というチャンスに、藤原道隆への手紙を読んだ、自分の気持ちを藤原道隆にアピールした」のでしょう。(藤原道長が選んだ詩は、恋人宛の詩ではなく、親友(ソウルメイト)宛の歌だったのがちょっと。まぁ、夜になって誤解されようのない超分かりやすい手紙を送ったからいいけど。)
⑥帰り道。ききょうは、まひろの評価が不適切であったことに対し、藤原道長の登場で動揺していることを知らず、「詩として成立していない0点の作品を白楽天の詩に近いと言うなんて、まひろ様はお疲れなのかしら」と皮肉を言い、「私は、出世欲丸出しの藤原斉信が素直で好きだ」とも言った。(かわいそうな藤原斉信。唯一の出世の糸口である妹の死。)藤原斉信は、後に藤原公任の「詩敵」と呼ばれる。清少納言は、『枕草子』において、藤原斉信を詩の達人(「詩をいとをかしう誦じ侍る」161段)だとか、記憶力が凄い(「よみたる歌などをだに、なまおぼえなるものを、まことにをかし」)とか褒めている。
⑦こうして藤原道隆は、藤原義懐のように酒と御馳走ではなく、「詩会」という日頃の学習の成果を発表する場を設けたことにより、将来性のある若い公家たちの心をつかんだ。(お題を「酒」にしたのは「藤原義懐の酒宴に呼ばれたと聞いたが。詩会はどうじゃ?」ということか。)
と馬鹿なりに解釈してみましたが、どうでしょう?
(解説は学者でなければできないけど、解釈はレベルの差こそあれ、誰でもできます。)
【感想】「詩を選べ」と言われれば、私なら、自分の気持ちとは関係なく、無難に白楽天のメジャーな作品を選ぶ。人柄は、選んだ作品ではなく、「文字」に表われると思った。書は人なり。(揚子雲「書、心画也」)
藤原義懐は酒宴を開いた。御馳走を出したが、珍味でなければ食べなれているのではないか? ただ、酔えば本音が漏れる(飲みにケーション)。
詩会では、選んだ詩で「気持ち」も分かるし、「実力」(教養の深さ)も分かる。武官の場合、腕前は「矢を10本射て10本的中」等、データが伝わるが、文官の場合「教養がある」と伝わってきても程度が分からない。)
今年の大河は、歴史学者だけなく、文学者にも解説していただきたいものです。
■藤原道長が選んだ歌と後日譚
賜酒盈杯誰共持 賜酒、杯に盈つれども、誰と共にか持らん。
宮花滿把獨相思 宮花、把に満ちて、独り相思ふ。
相思只傍花邊立 相思ひて、只、花辺に傍ひて立ち、
盡日吟君詠菊詩 尽日、君が菊を詠ぜし詩を吟ず。
「菊の節句」(9月9日の「重陽」)に賜った菊花酒は、杯に満ちているが、一体誰と一緒にこれを飲むというのか。
宮廷に生える菊を手で掴み、一人、君(元微之)を偲ぶ。
君(元微之)を偲びつつ、ただ、菊のそばに立ち、
一日中、君(元微之)の「菊花」の詩を口ずさんでいる。
後に藤原道真が、酒宴の場で、酔った勢いで、
この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば
と本音を詠んでしまった時、藤原実資に返歌を求めたが、藤原実資は、「白居易(白楽天)ですら、元稹(元微之)の素晴らしい「菊花」の詩には返せず、その歌を1日中感心して口ずさんでいたように、私ごときがこの名歌に返歌などできません。みんなでこの歌を大合唱しましょう」と答えたという。
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