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第25回「はるかに遠い夢」(動画集)

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 大河ドラマ「どうする家康」第25回「はるかに遠い夢」はいかがでしたでしょうか? さて、今回に関する時代考証のポイント解説をしましょう。

 大河ドラマ「どうする家康」の築山殿の策略とその破綻、そしてその死というストーリーは、脚本家古沢さんのオリジナルストーリーです。このドラマの出発時、家康と瀬名は相思相愛であり、今川義元がそれを汲んで結ばれた設定になりました。
 本当のところはわかりませんが、義元の肝煎りで結婚が実現したことは間違いありません。二人の結婚そのものが、義元が若き家康を高く評価していたことの表れだと考えていた時代考証陣は、その設定を容認しました。同時に、結末を知っている私は、これを今後、どのように落とし込むのかを固唾を呑んで見守っていました。そもそも、家康と築山殿が不仲であったということは、実証されていません。むしろ、天正6年早々までは正常な状況であったのではないかと考えています(詳細は拙著『徳川家康と武田勝頼』を参照してください)。
 ドラマでは、瀬名が戦のない世の中を求め、武田、北条とも結ぼうとし、戦国争乱の大きな要因の一つと考えられている凶作、飢餓を広域連合の協調関係で解決していこうという考えを提示していました。これを荒唐無稽と捉える方々と、理想論ながらもそれを面白く捉える方々で、評価は真っ二つになりましたね。それはドラマなので、いいことだと思います。
 ただ、ファンタジーだの、史実無視だのと批判され、「時代考証はなぜこんなことを許したのか」と痛罵されることも多々ありました。特に「歴史家」「歴史ライター」「歴史研究家」なる人々のかしましさには、特に注目しておりました。一般の方々は別にいいのですが、やはり彼らは単に勉強不足なんだなとしか思えませんでした。皆さん、戦国の軍事同盟(例えば武田・北条・今川や織田・徳川など)は、何のためにあったと思いますか? いうまでもなく戦争を優位に進めるためです。でも、その重要な柱の一つが「困っているところに、援助する」という大原則があるのです。家康が武田の侵略を凌ぎきり、生き残ることが出来たのは、織田信長による援軍派遣だけではありません。織田からの大量の兵粮、玉薬の継続的支援は欠かせませんでした。それはいくつもの史料で確認できます。武田も、同盟国に兵粮の支援を懸命に行っていたことが多くの史料でわかっています。とりわけ内陸部の武田にとって、自給できない塩は特に重要でした。そのため海を持つ北条や今川からの援助が欠かせませんでした。皆さん、武田信虎(信玄の父)がなぜ追放される羽目になったか、今の研究状況をご存じですか? 拙著『武田信虎』や『武田三代』(PHP新書)で詳述しましたが、信虎は周辺諸国と対立しており、継続的に経済封鎖をされていたのです。そのため甲斐は天候不順、災害、凶作、飢饉の被害を他国からの物資輸送で補うことができず、悲惨な状況になっていたのです。それは信虎時代と信玄時代の物価変動をみると、はっきりわかります。信玄時代になって、凶作になると、他国から物資を購入して補い、危機を回避していたのです。後は戦争で他国から略奪して補っていました。「足らぬところは、他から融通してもらい、うまくやっていく」という瀬名の台詞は、こうした背景を知っていれば、あながち否定できません。なかなか、戦国の流通や同盟の内実を、ドラマで説明することは至難ですよね。なのでどうしても言葉足らずになってしまっているかも知れません。
 あと、「戦のない世」を主張するなど、現代的価値観を入れすぎだという意見を多数拝見しました。皆さん、「おんな太閤記」って御覧になったことありますか? あのドラマは、主人公の寧々が「戦はいやじゃ」という言葉を毎回のフレーズにしていました。彼女が夫秀吉と目指したのは、「戦のない世」だったのです。それがドラマのコンセプトでした。それなのに、なぜ「どうする家康」の瀬名をあれほど批判できるのか、私にはわかりません。ましてや「昔の大河ドラマのほうが重厚感があった」「しっかり作られていた」と、そう批判される方々はほぼ口を揃えておられますが昔の大河ドラマ「おんな太閤記」をお忘れですか? 大河ドラマ「黄金の日々」は、自由な商業活動を希求する物語でした。そういえば、密約を交わした徳川と武田が、空砲を撃ち合い、合戦をしているふりをしたという設定に、ものすごい非難がありました。私は「真田丸」で、上杉景勝と真田昌幸が密約を交わし、直江兼続が指揮した上杉軍が、真田軍と空砲を打ち合ったシーンを記憶しています。皆さん、憶えておられないのでしょうか? 互いに密約を交わして、戦うフリをすることを「なれあい」といいますが、過去の大河ドラマでも採用された設定です。
 あと、瀬名がお金を統一するという提案をしていました。まさに荒唐無稽の極みとの非難が寄せられました。皆さんは、戦国大名間の取引を、銭などの少額貨幣の積み上げで行うという印象を持たれているのでしょうか。当時は、金・銀などを使用して、大口取引は展開されていましたので、お金の一つにするとするというのは、一種の比喩で、実際には秤量貨幣としての金・銀を公正に量ることができる正確な秤を設定し、さらに地方の価値変動(これは当時の言葉で「田舎目」いなかめといいます)を把握し、換算することで円滑な取引が可能となります。豊臣政権期の東国はまさにこれが実行されていました(豊臣時代は、京目〈畿内の金銀価値〉と田舎目の変動の換算)。
 まぁ、こうしたことも、ドラマの台詞で説明するのは難しいですよね。脚本家の古沢さんは、苦心されたと思います。少なくとも私は、同盟、盟約関係の積み重ねでこうした動きは形成できると判断し、脚色内容に同意しました。瀬名がなぜ希代の悪女と後世指弾されることになったのかという課題に、古沢さんが自身の脚色によりドラマ上で回答をしたい、そしてそれがその後の家康に大きな影響を与えていることを描きたいと考えておられることは、私にも伝わりました。今回はそれを尊重しました。大河ドラマは、史実を忠実に描くのではなく、それを素材にした解釈であり、独自の人間ドラマです。それは歴史小説となんらかわりはありません。もちろん、自分にはあわない、納得できないという方々がおられるのは、当然のことです。批判されることは、当たり前のことです。でも、私たちの仕事を貶める「根拠なき論難」はやはりこちらも傷つきます。こういう歴史上の背景やシステムが存在するので、ストーリーにうまく落とし込むためにはどうしたらいいかを、ちゃんと考えていますよ。それが納得できないのは、仕方ないことです。もっと、面白いドラマ作りが出来るよう、制作陣の末席にいる一人として、これからも頑張っていきます。応援してくださっている皆さま、ありがとうございます。批判してくださる方々、意見はできる限り目を通しています。重視されるべき批判は、今後に生かそうと参考にさせていただいています。むしろ、一般の方々の批判の方が、盲点を衝いておられることが多いです。いろいろお小言をいいながら、毎回観てくれているのだなと感謝しております。俳優陣や制作陣の努力と奮闘に、どうか心を寄せ手頂ければ幸いです。今回、瀬名が自刃する撮影には、私も見守らせて頂きました。俳優陣の鬼気迫る演技と迫力、撮影や演出陣の苦闘を、じっと拝見させていただいておりました。私は映像からそれがしっかりとあふれ出て、伝わり、胸に迫ってきたと感じます。彼らへのエールをお願いします。


Reco
>ファンタジーだの、史実無視だのと批判され、「時代考証はなぜこんなことを許したのか」と痛罵されることも多々ありました。特に「歴史家」「歴史ライター」「歴史研究家」なる人々のかしましさには、特に注目しておりました。一般の方々は別にいいのですが、やはり彼らは単に勉強不足なんだなとしか思えませんでした。皆さん、戦国の軍事同盟(例えば武田・北条・今川や織田・徳川など)は、何のためにあったと思いますか?

>「歴史家」「歴史ライター」「歴史研究家」なる人々
 私の記事は読まれていないと思いますが、私が記事に書いたのは、「史実である可能性が1%でもあればいいが、100%ないことをドラマにしないで。歴史好きでない人は信じてしまうから、御子孫が悲しむから」です。
 返信が来るとしたら「女大鼠は登場させるなってこと?」かなと思っていたら、「戦国の軍事同盟は、何のためにあったと思いますか?」ときた。ではお聞きしますが、「戦国の軍事同盟」の定義は? この築山案には、「戦国の軍事同盟」には子供の婚姻が重要ですが、この築山案には、婚姻も、人質交換も、血判状の作成するとかの話が出てきません。そういうのがない同盟は「戦国の軍事同盟」の定義からはずれ、「現代の同盟」なのでは? そもそも「戦国の軍事同盟」は自分の領地を守るための方法であって、「日本を平和にする、慈悲の国にする」という築山案は現代的です。100%史実ではないでしょう。根拠となる史料も無いでしょう。史料が無くても「築山案は通説のように悪女ではなく、良妻賢母であった」という設定には「あちうるかも」と了承できますが、現代的な築山策には「絶対ない」と了承できかねます。
 『おんな太閤記』等は見ていません。話をそらさないで下さい。比較論ではないです。『どうする家康』の築山策採用の是非の話をしています。

 あのね、浜松城から宇布見に出て、佐鳴湖へ遡上するルートがあるのよ。瀬名もそれに乗ってきたはず。家康は、宇布見で彼女を捕捉できず、急ぎ舟で佐鳴湖へ向かい合流したと考えれば、設定に無理なし。
 それにしても、どうしてこんな設定になっているのか、ということを想像力を働かせて自分なりにドラマを解釈し楽しむのが、映画やテレビの醍醐味なんじゃないのかな。なぜ、どうしてそうなったという疑問から、どう解釈できるかという想像力があまりにも欠如してないか。

浜松城から普済寺へは、名残口から城を出て、坂道を下るだけ。

Reco:私は、ドラマを「築山殿は、小藪の港で下船し、南を向いて座る。そこへ徳川家康が、東(浜松城)から来て、三ッ山の気落とし坂を下り、山麓の港から(南から)舟に乗って北上して来た」と思って見てました。
 「家康は、宇布見で彼女を捕捉できず」という話は初耳です。「築山殿は、堀江城で信康を捕捉できず」という話なら聞いたことがあります。

 このドラマの注目点は「方角」ではなく、オープニングアニメの「舟」である。岡崎から築山殿を連れてきた人々(3人の武士と多数の侍女)が乗って来た舟が無い。小藪の「港」であるなら、桟橋に多くの舟が繋がれ、漁民、商人、旅人など、多くの人々がいるはずである。
 このドラマの設定を想像するに、「築山殿一行が小藪の港で降りると、そこには浜松城から来た人々が待っていて、岡崎から来た人々は築山殿を引き渡すと、舟に乗って帰った。築山殿は輿に乗せられず、港から少し歩いて人がいない寂しい場所まで行くと、「ここで自害して下さい」と命じられた。築山殿は作法に従って西を向いて座せず、徳川家康が来ると信じて南向きに座した。そして徳川家康が来ると、お守りにしていた兎像を渡し、(「徳川家康は織田信長より強い」という意味だろうけど)「兎は狼よりずっとずっと強い」という根拠不明の言葉を言った」かな?(どう考えても狼の方が強い。また実際のお守りは地蔵院に収められた石である。)

https://twitter.com/HIRAYAMAYUUKAIN

■「ゆるっと解説 大河と歴史の裏話『瀬名は、悪女ではなかった⁉』」

 こういう裏話をどんどんすれば、「がんばってるな」と思うことが出来るが、そうでないと、結果(放送されたドラマ)から仕事ぶりを想像するしかない。結果が悪ければ、仕事をさぼったと思われる。
 大河ドラマは1時間枠にして、ドラマ45分+メイキング15分(現地取材=紀行、脚本家と時代考証の話し合い風景、俳優と演出家の話し合い風景など)にして欲しい。でないと、1本6000万円、1年で30億円の制作費が必要な理由が分からない。税金のように高額の受信料(2170円/月。1年分を一括払いだと24185円)を支払わされている貧乏人の身になって考えて欲しい。また使用明細も見せて欲しい。


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