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豊受大神
昔、丹波の郡比治の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願されて比治の里にとどまり、万病に効くという酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得ました。しかし、悪念を抱いた老夫婦はやがて天女に、 汝は吾が子ではないと追い出してしまいました。
天の原ふりさけみれば霞立ち 家路まどいて行方しらずも
と詠い、比治の里を退き村々を遍歴の果てに、舟木の里の奈具の村にやってきました。 そして「此処にして我が心なぐしく成りぬ」(わたしの心は安らかになりました)と云って、この村を安住の地としました。 此処で終焉を迎えた天女は村人たちによって、豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)として祀られました。 これが竹野郡の奈具の社です。
夫(そ)れ、神は唯一にして、御形(みかた)なし。虚にして、霊有り。天地(あめつち)開闢(ひらけ)て此の方、国常立尊を拝し奉れば、天(あめ)に次玉(つくたま)、地(つち)に次玉(つくたま)、人に次玉(やどるたま)、豊受の神の流れを宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)と、生出給(なりいでたま)う。
籠宮(このみや)名称起源
別名を彦火火出見命とも云われた彦火明命が、竹で編んだ籠船に乗って、海神の宮(これを龍宮とか、常世とも呼びます)に行かれたとの故事により、社名を籠宮と云うと伝えられています。
https://www.motoise.jp/
ここ真名井原は、天上において日神(天照大御神)と月神(豊受大神)が密かに結ばれた契りを、尊くもこの地上において化現された霊跡である。古来より両神を一神にして一座で祀ってきたと伝える。二神が祀られる地上においての宮居を吉佐宮(与佐宮)と称し、垂仁天皇の御代に天照大御神が伊勢の内宮に、そのおおよそ480年後に豊受大神が伊勢の外宮にご鎮座された後は、真名井神社と称される。
■オフショット
■まとめ動画
伊勢神宮の祭神についての話では、内宮の祭神は女神ではなく男神で、その正体は、
・大物主命=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊である。
・伊勢国の太陽神・猿田彦大神である。
・イエス・キリストである(日ユ同祖論)。
とかに話が飛ぶことや、
・内宮の祭神:女神・天照大神=卑弥呼(日巫女)
・外宮の祭神:女神・豊(とよ)受大神=台与(とよ)
であるとして、邪馬台国の話に飛ぶことが多い。(台与が丹後国から来たのであれば、邪馬台国は丹後国にあったことになる?)
上掲の動画は、「かごめ歌」から入っていく。「つっぺぇつた」は「滑った」ではなく「統った」で、
「鶴と亀が統べた」とは、
「鶴(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)と亀(大国主命)が統治した」
であり、「籠」は籠神社、「後ろの正面」は、籠神社背後の真名井神社(の祭神・豊受大神)だとする。(難解歌詞「夜明けの晩に」については触れられていない。)
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「かごめ歌」の文献上の初出は江戸時代’(文政年間)の『竹堂随筆』の
かァごめかごめ、かーごのなかの鳥は、いついつでやる、夜あけのばんに、つるつるつっぺぇつた、なべのなべのそこぬけ、そこぬいてーたーァもれ。
だそうで、古代から存在する歌ではないようである。
「かごめ」は「籠の中の鳥」という歌詞から「籠目」だと思われるが、遊び方からすると「(中央の鬼を)囲め」であり、鬼を取り囲むのは、「よあけのばんに」、つまり、朝番の警備員「夜明けの番人」であろう。
日本神話の不思議は、名前だけ出てきて、事蹟が無い神がいることである。たとえば、「三貴子」と呼ばれる太陽神・天照大神、月神・月読命、海原の神・須佐之男命であるが、月神・月読命の活躍は記紀に載っていないし、須佐之男命は海ではなく陸で活躍している。(海で活躍するのは竜宮城の綿津見大神(豊玉彦。竜王)である。)また、生活に必要な「衣食住」(特に機織りと稲作)を司る豊受大神は、『古事記』には出てくるが、『日本書紀』には出てこない。
──これはどういうことだろうか?
──鶴(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)と亀(大国主命)が統治した。
→鶴(天孫系天津神)と亀(出雲系国津神)が統合した。
中国の史書には「倭国と日本国が合併して日本国になった」とある。つまり、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(須佐之男命の息子)を祀る日本国と大国主命(須佐之男命の婿養子)を祀る倭国が合併して(「国譲り」して)日本国になったのであろう。そして、2つの国が合併すると、困ったことが起きた。つまり、それぞれの国に重要な神(太陽神とか、水神とか)がいるので、ダブってしまい、どちらの神を祀ろうかと問題になったのである。そして、選ばれなかった片方の神は、子孫がいるので消すことはできないが、記紀には名前だけの登場になったのであろう。ちなみに、太陽神については、「元伊勢」と呼ばれる神社が、旧日本国内に点在している。このことは、太陽神として、旧日本国の太陽神・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊ではなく、倭国の太陽神・天照大神を新生日本国の太陽神として採用するにあたり、旧日本国内を説得して回ったことを意味しよう。
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