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平為賢と双寿丸

■平為賢
 藤原隆家と親交のある武者。
 隆家が大宰府に赴く際に従い、刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の際に軍功を立てる。
 為賢のもとで、双寿丸は武術の研鑽(けんさん)に打ち込んでいる。

『光る君へ』公式サイト

平為賢は、「刀伊の入寇」で活躍した「都ノ武者」。
双寿丸は、ドラマオリジナルのキャラで、平為賢の部下という設定である。

平 為賢(たいら の ためかた、生没年不詳)は、平安時代中期の武将。平維幹の四男。肥前伊佐氏(伊佐平氏)、薩摩平氏(鎮西平氏)の祖。
経歴 
 『朝野群載』によれば、寛仁3年(1019年)に「散位平朝臣為賢」が刀伊の入寇で活躍し、肥前国を賜ったという。
 刀伊の入寇以前は、平良兼・平公雅流が鎮西において活躍していたが、入寇以後にはその様子が見られない。これは、平忠常の乱や、伊勢国における平維衡と平致頼の紛争に見えるように、摂関家と結んだ平貞盛・平繁盛流平氏と良兼・公雅流平氏は紛争を繰り返しており、その結果、鎮西でも公雅流平氏と繁盛流平氏が争い、後者が争いに勝って鎮西に勢力を広げることができたと考えられる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  平国香┳貞盛
     ┣繁盛━維幹(惟基)┳為賢【肥前伊佐氏】【薩摩平氏】
     ┗兼任       ┗為幹  

※為賢の事蹟については、同時代の人に橘為賢がいて紛らわしい。
※為賢は繁盛の孫である。しかし、父・維幹のところに「貞盛為子」とあるように、父・維幹は貞盛の養子になっているので、貞盛の孫ともいえる。
伊佐氏
※『今昔物語集』(巻28)「15 豊後の講師、謀りて鎮西より上りし語」に登場する「伊佐ノ平新意能観」は平為賢のことだという。もしそうであれば、その名を書いただけで海賊も恐れ逃げ出すという猛者であったことになる。

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