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「倭国大乱」(2/3) 楯築ルネッサンス

「倭国大乱」(『魏志倭人伝』では「倭国乱」)とは、2世紀後半(弥生時代末期)に倭国で起こったとされる日本史上初の大規模な戦争(内戦)で、『魏志倭人伝』によれば、邪馬台国の女王・卑弥呼を共立することにより終結したそうです。

其國、本亦以男子為王。住七、八十年、倭國亂、相攻伐歴年。乃、共立一女子為王。名日卑彌呼。事鬼道、能惑衆。年、已長大、無夫壻。有男弟、佐治國。

(その国、本はまた男子を以って王と為す。住みて七、八十年、倭国は乱れ、相攻伐して年を歴る。すなはち、一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼といふ。鬼道に事へ、よく衆を惑はす。年、すでに長大にして、夫婿なし。男弟有りて、国を治むるを佐(たす)く。)

『魏志倭人伝』

「倭国大乱」は、卑弥呼共立前の倭国王・帥升(すいしょう)の時代の話です。

■楯築遺跡復元プロジェクト「楯築ルネッサンス」

①吉備王国の楯築墳丘墓は、「倭国大乱」期の倭国王・帥升の墓である。
②楯築墳丘墓は、前方後円墳「箸墓古墳」(卑弥呼の墓?)の原型である。
 以上、楯築遺跡は、日本史上重要な遺跡であるので、給水塔の撤去、工事で破壊された双方部(楯築墳丘墓は、双方中円墳)の復元等を行って整備する。また、国に対し、国立博物館「中つ国国立博物館」の建設を要求する。
 以上のプロジェクト名を「楯築ルネッサンス」と名付ける。



  荒神谷遺跡で注目された出雲王国

  楯築墳丘墓で注目される吉備王国

旧・楯築神社のご神体「亀石」=国指定重要文化財「旋帯文石(弧帯文石)」
https://www.city.kurashiki.okayama.jp/5509.htm


https://tatetsuki.com/11_25_mp3/
「古代三都」とは、倭国統一の中心を担った古代吉備、出雲、大和のこと。

■神武東征

 天照大神の子孫である彦火火出見(後の神武天皇)は、『日本書紀』によると、庚午年1月1日庚辰の日に筑紫(九州)の日向国に生まれた。45歳になって、兄や子を集めて東征を開始した。日向国から豊国宇佐、安芸国、吉備国、難波国、河内国、紀伊国を経て中洲(大和国)を征し、畝傍山の東南「橿原」を都と定め、辛酉年(皇紀元年)1月1日庚辰の日に初代天皇に即位した。(この即位日は、西暦の紀元前660年2月11日にあたるので、昭和42年(1967年)、政令により2月11日が「建国記念の日」と規定された。ちなみに、2024年は皇紀2684年である。)

※辰の日に生まれ、辰の日に即位。「辰」は「立つ」で、物事が始まるらしい。今年は辰年。私も神武天皇のように、読者の皆様にサポートされて立ちたい。(私の活動をサポートして下さる方は、下の緑の部分をクリックしてね☆)

 さて、この神武東征において、彦火火出見は、吉備国を通過しただけではない。岡山県児島郡甲浦村大字宮浦字高島(現・岡山県岡山市南区宮浦)の吉備高島宮(きびのたかしまのみや)という行宮(あんぐう。仮宮、後旅所)に『日本書紀』では3年、『古事記』では8年も滞在したとある。船舶や武器の準備をしたというが、長すぎる。吉備国に首都を置く案もあったのであろうか?

tatetsuki.pdf (okayama-u.ac.jp)


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