太田白雪『鳳来寺聞書』
愛知県新城市の俳人(松尾芭蕉の門人)にして郷土史家でもあった太田白雪の書。
鳳来寺の僧に知人がいたこともあり、鳳来寺に関する記述は複数ある。
・『鳳来寺聞書』(1706年):『鳳来寺由来』に聞いた話を加筆した縁起書
・『反古探し』(1708年) :『鳳来寺聞書』の改訂版
・『鳳来寺道之記』(1716年)
・『鳳来寺紀行』(1729年)
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『鳳来寺聞書』の写本には、
①大原氏所蔵花本:『鳳来寺由来』に加筆
②岩瀬文庫本 :大原氏所蔵花本に加筆
③大原氏所蔵月本:岩瀬文庫本に加筆の上、砥鹿神社縁起等を追加
がある。
※太田白雪(おおたはくせつ):1661-1735。元禄4年(1691年)10月、31歳の時、松尾芭蕉の訪問を受け、鳳来寺を案内した。
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○山号煙巌山
○山号煙巌山 本堂より西に当る。利修仙人、護摩を修す。常に煙立つ故に此の名あり。岩窟にして、近年、石像の仙人をあがむ。門谷町入口より左の方、行程10余町、塩の谷村、渋谷の金王丸の宮へ近し。右の方、東門谷に長田の庄司を祝ふ宮あり。(但、神体乗鞍也と云伝ふ。)
○院号勝岳院
○院号勝岳院 古代は「簫楽」とも書く。本堂より戌亥に当る1宇に不動尊2体安置す。1体は役行者の御作、又、1体は仙人の御作也。傍の岩の面て(おもて)に大童子の形あり。
利修と行者と云ふ。利修、役の行者は連枝と云ふ。
○寺号鳳来寺
○寺号鳳来寺 斉明天皇の御宇、仙人、百済国に渡り、帰朝、鳳に乗り来る故に名付くる。又、文武天皇の御時、仙人、参内。鳳に乗りて簫を吹く故に「簫楽院鳳来寺」と佳き名、帝、「鳥楽仙人」と召す。臣下大臣は、「簫楽仙人」と呼ぶ。当山の縁起は、本堂炎上の時、焼失。右、何れも鳳来寺今の由緒書也。
勅養寺縁起に云、白雉、白鳳の年号、此の義によりて也、名付くる。当国5ヶの大寺と云ふは、第1鳳来寺、第2桜井寺、第3滝山寺、第4真福寺、第5高隆寺。
『旧事本紀』第33云(『大成経』也)
推古天皇10年冬閏10月乙亥の朔辛卯、参河国、大鳥の尾を奉る。参河の桐生山に神代の桐の木有り。長さ49丈、太きこと32尋。枝、半ば過ぎて枯れたり。本に洞の口有り。大室の如く、虚上に竜、住す。時に雲霧を発して、大雨を降らす。依って「桐生山」と曰ふ。又、「霧降山」と云ふ。此の木、下枝有り。西に摽すこと30尋。此の枝に大鳥、居す。鳥の長さ8咫余、尾の長さ1丈余、全身の大色は5色金翠(きんすい)、処々の小色は光る。紅紫(べにむらさき)、1つの尾、3茎を分かち、12濃薄の金翠に成り、言ふべからず。人、其の名を知らず。終に3の尾を落とす。得て以て上に奉る。洞中に1つの仏像有り。金石に非ず。土木に非ず。手指に宝壷を成す。唯金光を見ゆ耳。時に皇太子、其の表を見て曰く、「是は斯れ鳳の尾也。此の鳥、丹穴に在り。他国には希に此の鳥を見ること有り。文行を好む。天皇、大道に入りて、神皇の紀を開き、兼ねて儒釈の経を弘む。故に此の鳥、仏像を来見す。是れ、東方薬師瑠璃光仏也。王道国家を護る尊也。後代、当(まさ)に竜去りて寺と成るべし」と。皇太子、此の鳳の冠を尊て天皇の冠と号すと云云。略。
『霊聖記』に云。(『鳳来寺由緒書』も同じ。)
利修仙人は、山城国端正郡二葉里の高賀茂の老翁・間賀之助都岐麻呂の子也。仙人入定、仁王57代・陽成天皇の御宇、元慶2戊戌年、仙人309歳にして御入定也。神窟並び池水有りと云云。凡夫の行く所に非ず。今に、時々鈴の音あり。杣山人等聞く事、あまたたびとかや。『由緒書』の説。
○千寿峯 / 万寿坂
○千寿峯(本堂より未申にあたる)
万寿坂(同所より南に当る。峯をへだつ)
欽明天皇の御宇。金光元庚寅年4月7日午の剋に出胎。名、「利修童子」と名付く。成長の後、此処に来る。千寿峯に住す。或る時、夢中に五台山の長秋仙人来て、仙術を示す。千年の果報授かる故によりて此の名あり。
「万寿坂」右以て同じ。
○仏閣草創
○仏閣草創 由緒書の記
大長七戊戌年、文武天皇、御悩有り。霊夢の告げ有りて利修仙人を召す。草鹿砥公宣卿、勅使として此の国に下向す。此の山の近処に到る。路次に一の大河あり。水、高くして手安く渡るべき様なし。猿、忽に集まり、大木を引き来りて、かの河に渡す。勅使、之を渡る。是を「猿橋」と号す。今、改め「算橋」と云ふ。滝川の事也。勅使、煙巌山に尋ね上りて仙窟に入り、勅命を宣ぶ。仙人、再三、「辞退す」と云へども勅命、重きに依て、参内すべき由、諾す。仙人、鳳に乗り、簫を吹きて参内す。一七日の加持の力に依て、帝、御悩、平安あり。其の時、仙人の意趣を尋ね玉ふに、利修、仏閣の造立の望み有りと云云。仍て伽藍の建立有り。大宝三癸卯、仏閣の造立畢ぬ。後、「鳳来寺」の勅額を賜ふ。光明皇后の御筆、仁王門の額、是れ也。「国分寺薬師」と云云。
勅養寺縁起に云。大長七戊戌、天皇、御悩、公宣卿、三州に下向す。路次に一宇の観音堂あり。中福寺と号す。此所に、勅使、やすらひ玉ふ故、「輿休山勅養寺」と号す。頼朝卿、再興の寺也。
本宮縁起に云。勅使・公宣、煙巌山を訪ね、銀岩山、花園山、古曽山、飯盛山を過ぎて深山あり。是を煙巌山と心得て百余町を登る。木茂山、是也。(今の本宮山。)老翁出て、童子を道しるべとして勅使を煙巌山へ送る。
○六本椙
○六本椙 本堂より戌亥にあたる。往昔は七本椙。
常に天童、八人来て、かの霊木を礼す。其の文に曰、「椙木医王薬師仏 一歩一見諸郡生 現生安穏得長寿 後生無量寿仏国」と唱へ、利修、則ち、七仏薬師と知りて、常に霊木を礼す。
推古天皇の御宇、定めて居す。辛未年、仙人、かの霊木の内一本を伐りて、一刀三礼の薬師、並びに前立の薬師、日光、月光、十二神、四天王等を彫刻し、岩の上に安置す。今の本堂、是れ也。
今の前立の薬師三尊に並び、十二神、四天王、文殊等は菅沼織部正定芳(法名円徹)の御寄付なり。
昔の本堂も今の所と云へども、前に池ありて、反橋かヽる。向ふに薬師立せ玉ふ堂、「方丈」と云云。元和六申の12月26日、堂、社、僧坊、ことごとく炎上。其の後、池を埋めて今の堂を建つ。坊中は堂を取りまはしてありしを火難をのぞくために叚々坂中に引きて建つる。
往昔は坊中、引地村寺が入と云ふ処にあり。今に礎等のこる。三十余坊と云へり。其の故に跡を引地村と号す。
同御尊木同御作の薬師の尊像と云ひ伝はりたるは下五井村医王寺の如来、遠州浜名大福寺の如来也。
聞書
聞書 文武天皇、東夷、そむくにより、是を攻めさせ玉はんため、当国宝飯郡星野の郷に、大和国藤原の都をうつさせ玉ひ、既に皇居3年。此の時、鳳来寺への御立願の事ありて、公宣卿、勅使に立て玉ふと云へり。
同設楽郡山村の里に勅使公宣卿をもてなし奉らんため、茶店しつらふ跡とて今にあり。
ゑんがん山といふ諷
ゑんがん山といふ諷
(略)いそぎ候間、当三河の国ゑんがん山につきて候。ま〔先〕づまづ仙人のありかをたづねばやと存じ候。扨もわれ、この山に引き入り(略)いかに此の内に利修仙人のましますか、文武天皇の勅使・公宣、是までまいりたり。思ひよらずや。ちょくし〔勅使〕とは、いかがなる事にあるやらむ。扨も、みかど〔帝〕御なう〔御悩〕しきりにまします間、大法修せられ候へども、そのしるし〔験〕なく候処にはかせ〔博士〕占をひらき申す様、かの仙人まいり、御修法あらば、則ち御平愈と申すに仍て是まで勅使を遣さるヽ也。我、王土に住と云ひながら、かつらの露をのみ、松の葉を食し、ただくうじゃく〔空寂〕としてありながら、王命にも何がしたがふべき。はやばやかへり給へとよ。いやとよ仙人心得がたし。王土に住まば、王命をいかでかそむき〔背き〕申すべき、あら難しの云ふ事やと、杖上に結跏趺座(けっかふざ)をなす。いやいや、杖をたつる所も王土にあらすといふこと有まし。とかくもんどう〔問答〕むやく〔無益〕なり。もとより我は仙法の通力も世に越えて、飛行自在を得る上は、今はこくう〔虚空〕に住べし。あらおろかなる云ことや。月日のひかりさすところ、いづれもいづれも王土にあらすやとことはり、せめて夕ぐれの柴の扉を押しひらき、勅命にあふずる〔応ずる〕人の心うれしき。(略)此説が俗に云ふ縁起なり。
聖徳太子伝記
聖徳太子伝記に太子、黒の駒にむち打たせ、虚空を走らせ玉ひけるに、蹄に当る物あり。三河国には設楽の峯、是れ鳳来寺の事とかや。
○堂社仏閣
○堂社仏閣
○鎮守一宇
○奥院二社
○仙人堂
○天神社
○八幡社
○護摩堂
○弁財天
○牛王堂
○阿弥陀堂
○鐘堂
○三重塔
○シュショ明神社
○ビシャモン堂
○シュロウ堂
○元三大師堂
○弘法大師堂
旧跡
旧跡
○巫女石
○高座石
○尼行道
○尼谷
○行者帰
○児掛松
○五郎ヶ墓
○隠し水
○瑠璃山
○牛岩
○明星山
○妙法ヶ滝
○馬背
○牛ヶ鼻
光明皇后の御事
由緒書
坊中
坊中
天台真言両宗也
天台方学頭
○松高院
○岩本院
○等覚院
○不動院
○観性院
○寿命院
○般若院
○吉祥坊
○杉本坊
○円蔵坊
○円竜坊
以上
真言方
○医王院
○藤本院
○法華院
○円林院
○日輪院
○一乗院
○月蔵院
○尊教坊
○中谷坊
○善智坊
以上
ビンサヽラ踊 鬼踊
ビンサヽラ踊 鬼踊
○笹谷
詠歌
詠歌
軍記
軍記(武田信玄が田口村福田寺で没したとの伝承等)
御当家鳳来寺御由緒
御当家鳳来寺御由緒