瀧山寺の文化財:鬼祭りと鬼塚
滝山寺は、鬼祭りで有名である。
また、この鬼祭りに参加した2人の鳳来寺の山伏が亡くなると、「鬼」として埋められた。
1.鬼祭り
鎌倉時代から800年続く、天下泰平・五穀豊穣のお祭りです。
松明を運ぶ行列から始まり、約半日にわたり様々な祭事を行います。特に、クライマックスの「火まつり」は圧巻の一言。国重要文化財である本堂に30を超える巨大な松明を持ち込んで、半鐘やほら貝をかき鳴らしながら鬼が乱舞します。
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2.鬼塚
鬼塚の伝説
当山の鬼祭りに使用する鬼面には、その昔、五面(祖父、祖母、孫、父、母)があったという。
鬼面を鬼祭りに被る者は七日間、斎戒沐浴して別室で起居し、炊事などは男の手によってなされる。
或る年の祭りに、諸国修行の山伏と称する二人の旅僧が来て「我々は常に諸国を旅して木食を成す者であり、決して身に汚れはない。鬼面を被らせよ」と定められた「行」をする事なく祭りを行なった。祭りが終わってその面を脱ごうとしたが顔面にくっついてはなれず、息がつまって遂に死んでしまった。この者たちをこの地に葬り鬼塚とよぶ。
毎年の鬼祭りには、五穀の炒ったものを塚の上に撒き「春秋の芽の生うる時出で来たれ」という。そしてこの撒きちらした五穀は、子供のオコリの妙薬として、奪い合って持ち帰る風習がある。
鬼面は5面とも運慶の作とされており、もとは父&母面もあったが、鳳来寺から来た山伏が定められた「行」をする事なく祭りに参加したので、面を被ったまま死亡し、面が顔にはりついて脱がせられなかったので、そのまま薬師堂の前に埋めたので、3面になったという。
この2人の山伏は、垢離(山伏や修験者が神仏に祈願する前に冷水や海水を浴びて身を清めること)をしなかったので亡くなったと言うが、
・五穀豊穣の人身御供になったのではないか?
・2つの面の紛失の理由として利用されたのではないか?
また、「鳳来寺田楽」(利修仙人は、山の守護神となるよう因果を含めて三鬼の首を切って本堂の下に埋めた。その三鬼の供養と五穀豊穣を祈り、毎年1月3日に開かれる田楽)とも関係ありそうである。
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