執事の館 電書鳩・第1102号に寄せて
名古屋市に佇む、「執事の館」。
一般的に言えば執事喫茶やコンセプトカフェのようなものだが、そのコンセプトに本気過ぎる実態は密やかに噂されてる。
ここに行くことを「帰宅」といい、帰宅できるのは会員登録をした証である「手帳」を持つ者だけ。実はこの手帳を執事の館の設立時から持っているが、遠方ということもあり未だに帰宅は叶っていない。絶対いつか帰ったるという気持ちはずっとある。
広報を担当している使用人の松原(執事の館に関わる時、わたくしは一人のお嬢様なのでそれらしく行かせていただきますわ)からは定期的にお便りが届く。内容は季節のことや、提供される料理のことなど多岐に渡るが、今回のお便りはタイトルからしていつもとちょっと違っていた。
以下、お便り全文。
簡単に言うと、館の庭で力尽きていた子猫を後日斎場で弔うために一時的に室内に迎え入れたということだ。そして、今後同様の事態に遭遇した時に空に送るまでの時間を館で過ごさせてやることを、我々館の主人に許して貰えないかと。
飲食店である点に考慮した上で、本来自然に還るはずの野良猫に手出しをするのがどんなにお節介か、わかっていながらどうしても見過ごせなかったと、悲しみで昂っているであろう強い感情が読み取れた。
わずかな一瞬、安全な住処があったという事実を小さな生き物にあげたいなんて、どうして断れるだろうか。館を守る彼らに任せて心配なことなど何もない。私に手伝いができない以上、判断は全て委ねている。
自然に生きるもの達には接触を避けるべきというのも、その体が雨風にさらされていく姿を見るのは辛いのも、わかってる、その末にわたくしも同じことをすると思うから。
そんな中で、少し気になることが。
詳細は臥せるが、感情論で片付けるには難しいこの問題についてTwitterで色々な懸念の声が上がっている。気持ちは理解できるが、館を堅く守る使用人が誰かにとって悪いことになるような真似をするわけがないのだから、そんな心配をする余地は元からない。
それよりも、小さい命を見送ったばかりで疲弊している松原が、主人たちの厳しい声を真摯に受け止めているために傷ついているのではと危惧している。
一度も帰宅は出来ていなくても、千を超えるお便りを送り続けた彼がどんな信念を持っているか、そのお便りを読み続けたわたくしはよく知っている。どうか自身の心を守ってやって欲しい。まずはあなたが健やかでなくては。