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Möbiusband

全てがyes/noの両極しかないから、全てが線形の両極あるまで、そしてさらに全てのことが丸のように「極」さえないまで、その最後にmöbiusbandのように、正反面さえないことを理解して実感するのが、成長の実感。
例えば、人は「いい人」と「悪い人」で分けられないこと、ルールであるものでもその「場合」と「相手」(これは学校の日本語の敬語教育から学んだ)によって変わること、視点がマクロすぎるとある種のミクロでミクロの極まりがマクロ(これは宇宙論の何かの本からだった)、などなど。
それを理解するのが、大人への妥協ではない。硬い硬い人ではなく、ある意味弾力性を持ってもっと自分にも世界にも優しい人になるための必要単位である。そう理解して、どう行動するのが各個人の自由。
自分がずっと「遅い」って感じたのが、人より「進化」したくない点があるから。教わった内容をそのまま捉えて、その通り自分も他人も要求しちゃう人だから。でもそのかわりに、年(考えられる時間)が人より多めだから、自分の成長を他人視で見ているように成長してた。それでそれでもいいことじゃない?
これもmöbiusbandじゃん!

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