ちゃんと嘘をつけるひとが幸せになれる話

いろいろと決断をしなくてはいけないことが世の中にはあると思います。そして、ときにはその決断を急ぐあまりに、心身のバランスをくずしてしまう人もいるのではないでしょうか。得てして、まじめすぎるひとだったり、正義感の強いひとだったりするようです。それはよいことですが、自分自身を追い詰めるほどのその気性ならば、それは少し考える必要があります。ということで、何かをするにあたり、いろいろな不安や矛盾を抱えてしまい、いまいち自分がよく分からなくなってしまった人へ、すこしアドバイスをしたいと思います。

ちゃんと嘘をつけますか?

嘘っていうと、わるいことだって思ってしまう人もいるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。ことわざに、嘘も方便という言葉があるくらいですからね。まじめな人ほど、バカ正直に何事とりくみすぎるんです。そういう人に聞いてみたいのは、嘘をつくことができるかってことです。もちろん、あからさまにひとを傷つけたり、なにかに損失を与えるような嘘ではありません。ひそかに自分の思い通りにするための方便としての嘘です。それはわるいことではありません。けっして正しい理屈だけで動いているわけではない社会においては、必要なものです。そういう嘘をじぶんに対して許容できているかどうかということです。

表面的にふるまうこと

嘘をつくことと同じですが、それを応用すると、些細なじぶんの信念とは違ったことに対して寛容になれたりします。まじめなひとは、表と裏が一致しているために、些細な表面のことに対しても、敏感に反応し、そこにも自分の信念を貫こうとすることを怠りません。まじめすぎます。そこでも嘘をつけばいいんです。なにも悪いことじゃありませんよ。生きることは多かれ少なかれ戦いです。相手だって嘘をついているかもわからない。フェアに戦うためには武器が必要です。どんどん、嘘をついてください。嘘をつくことはいいことです。

嘘とは激しい変化のことでもある

まだ、嘘をつくことに対して抵抗があるひとがいるかもしれません。では、こういうお話はどうでしょう。たとえば、Aさんはこれから〇〇の仕事で生きていくと誓いをたてて、周囲の人達にもその旨の意思表明をしたとしましょう。頑張れよとか、さまざまな激励や鼓舞や歓迎を受けました。しかし、1年後、ふと思い立って、まったく違う仕事をはじめてしまいました。周りのひとたちはあなたにいいます。1年前に言ってたことはなんだったんだ。と。

さあ、これはAさんは嘘つきってことになるのでしょうか?

まあ、周囲の人の中には嘘つきだと思うひともいるでしょう。でも、Aさんにしてみればそんなことは知ったこっちゃありません。そして、Aさん本人としては嘘をついたつもりはないでしょう。Aさんが1年前とは変わっただけのことです。

このように、人は絶えず変化します。それは思想もそうですし、肉体もそうです。そういう変化があるのが人間です。一秒後になにがあるかだってわからないのです。しかし、社会はたとえば契約という制度を持っていて、ある程度の期間の拘束を試みようとします。それが人によっては窮屈に感じるのでしょう。しかし、いままで述べた通り、人は変化するものなので、それを真に受けすぎる必要はありません。利用してやればいいんです。それだけです。明日とか1年後とかに、どうなっていたいという目標はいくらでも立てられます。でも、それがそのままの気持ちで達成されるかどうかは、だれにもわかりません。なので、お前はいついつまで〇〇とかいう話ほど、真に受けないでください。表面上はハイって言っておくだけでいいんです。嘘をつけばいい。あなたはいつだってどこだって、そんな言葉に強制される必要はないのですから。生きていさえすればどうにでもなります。健康であれば、何度でもやり直せます。なので、あなたの気持ちを一番大切にしてください。それは傲慢でも何でもないのです。

ではでは。

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